「べっぴん」語源 発祥の店

べっぴんごげんはしょうの店

東海道本線 豊橋駅から北東に700m、豊橋鉄道 東田本線 札木停留所から100m西に 丸よ(豊橋市札木町50)という鰻屋がある。店先の壁にプレートが貼り付けられている。

旧東海道の吉田駅に“織清”(丸よのルーツ)という料理店があり、江戸からうなぎ職人を雇い、あちこちから大きなうなぎを買い込み、焼き方や醤油の調整などを江戸風にして、安価に提供したところ、大変評判がよく、地元の人がこれを食べないのは恥だと思われるほどになった。

店主の友人である渡辺小華(渡辺崋山の息子)にキャッチコピーを依頼したところ“頗別品”(すこぶるべっぴん)という3文字ができた。これを店の看板にしたところ、珍奇な看板が評判となって客が多く集まった。
安くてうまいうなぎの評判は広がり「頗別品」の言葉も広まったが、名古屋周辺では単に“別品”という言葉になり、さらには“別品=美人の女性”を意味するようになった。

写真

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  • 丸よ
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碑文

「べっぴん」語源発祥の店

丸よ

明治初期に田原藩家老渡邊崋山の息子、渡辺小華の発案により「すこぶる別品」の看板を掲げ鰻を売り出した所、大好評を得その言葉が全国に広がってゆき極上品はすべて「べっぴん」と呼ぶようになって、そのあとの明治中期には美しい女性(美人)にも使われるようになりました。
丸よはその伝統の『べっぴん』の鰻を今も焼き続けております。

吉田祝本陣跡

ここは江戸時代、清須屋、東隣に江戸屋の二軒の本陣がありました。本陣とは各宿駅に置かれ、街道を往来する大名・幕府役人・宮家・公卿など身分の高かった人たちが宿泊したところです。享和二年(1802年)の書上によると東海道吉田宿には本陣二軒・脇本陣一軒・旅籠六十五軒があり、ここ札木町あたりは宿の中心部として最もにぎわったところでした。

「べっぴん」語源発祥の店プレート

地図

地図

豊橋市札木町 付近 [ストリートビュー]