江州音頭発祥の地

ごうしゅうおんどはっしょうのち

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撮影:
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東近江市八日市松尾町 延命公園内

滋賀県広報課

滋賀県八日市市は周辺4町と合併し、2005年(平成17年)2月11日から東近江市となった。

写真


碑文

江州音頭発祥の地

江州音頭

古来 八日市市は市場町として発達し歴史的な伝統と豊かな民俗文化を形成してきた。江州音頭も幾多の伝承されてきた民芸のなかの一つである。

江州音頭は江戸時代末期 八日市市場に出入りしていた祭文語り櫻川雛山に歌祭文の教えを受けた板前稼業の西沢寅吉が、当時盛んであった歌念仏、踊り口説くどき、念仏踊りを歌祭文に取り入れ大成したのが始まりである。これが当初、江州八日市祭文音頭といわれたものである。そして 寅吉は教えを受けた櫻川雛山師匠の芸名を用い、櫻川大龍と名乗り名をなしたのである。初代大龍に次いで、真鍮鋳物細工を稼業としていた奥村九左衛門(初代真鍮家好文)も八日市祭文音頭の家元として一派をなしそしてこの櫻川、真鍮家の二家元により江州八日市祭文音頭は、全国に「江州音頭」としてなじまれるまでに発展してきたのである。市内金屋町金念寺境内には門弟の建立になる初代櫻川大龍と真鍮家好文の慰霊碑がある。江州音頭には座敷音頭と屋台音頭(盆踊り歌)とがあり明治二十年より三十六年頃まで大阪千日前の一席亭にかけられたのである。この江州音頭が爆発的な人気を呼び当時、河内音頭を歌っていた玉子家鳥丸、砂川千丸らも江州音頭を糧とした。江州音頭は一曲に小一時間も要し三曲も演ずれば三時間もかかり、演者も客席も飽きるところから曲の切れ目に関西万歳を幕つなぎに取入れた人こそ玉子家鳥丸、後の漫才の元祖玉子家円辰である。現在、江州音頭保存会も結成され、毎年行われる開市の始祖聖徳太子を崇める聖徳まつりの中で、江州音頭の市民総踊りは人気の中心である。この八日市市に有志により「江州音頭発祥の地」の記念碑も建立され、先人の努力を顕彰すると共に、更にその普及と保存振興が はかられている。

文作成公証 深尾寅之助

地図

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