育英小学校 発祥之地

いくえいしょうがっこうはっしょうのち

都営地下鉄 浅草線 蔵前駅の300mほど西に, 西福寺という浄土宗のお寺がある。この門前に『育英小学校発祥之地』という黒い立派な石碑と, その横に説明板が建っている。

ここは 明治3年に東京に6つ設置された小学校の一つ。「仮小学 第四校」と呼ばれ, 育英小学校の前身である。学制が発布されたのは 明治5年なので, 東京で最も早く作られた公立小学校である。

現在の育英小学校は, この地から約500m南東にある。

なお、全国にある育英と名の付く教育機関や財団法人等は同一グループであることは少なくそれぞれ関係無い。「育英」とは孟子「尽心上」から抜き出された語で、すぐれた才知をもつ青少年を教育するという意の動名詞。他に「三楽」「教育」なども「尽心上」を基とする。

写真

  • 育英小学校発祥之地 西福寺
  • 育英小学校発祥之地
  • 育英小学校発祥之地
  • 育英小学校発祥の地 説明板(2019)
  • 育英小学校発祥之地 (2019)
  • 育英小学校発祥之地 西福寺(2019)
  • 育英小学校発祥之地 (2019)
  • 育英小学校発祥之地 背面(2019)

碑文

育英小學校發祥之地

昭和六十二年仲秋 杉山 寧 書

育英小學校同窓會建之
記念碑建立委員

(芳名略)

育英いくえい小学校発祥の地

台東区蔵前四丁目十六番十六号 西福寺

 明治二年(一八六九)三月, 明治新政府は幕府・藩による政治体制にかわる新しい日本の構築にあたって, 国民全体の教育の推進をはかるため, 小学校の設置を定め, 明治三年三月, 東京に六つの小学校を設立した。
 その一つが, 本寺境内に設立された「仮小学 第四校」で, 現在の育英小学校の前身である。開校日は同年六月二十三日で, 現蔵前・鳥越・浅草橋・柳橋・三筋付近に居住していた旧大名・旗本及びその家臣の子弟たちが入学したといわれる。したがって, 当地は, 同五年八月の学制発布に先だつ, 東京で最も早い公立小学校発祥の地である。
 当校は, 同七年(一八七四)四月中旬に 医学館跡地(現浅草橋四丁目十七番付近)へ移転, 明治十年八月, 育英小学校と改称し, 同十八年十月に現在地(浅草橋二丁目二十六番八号)に移った。

平成八年三月

台東区教育委員会

BIRTHPLACE OF IKUEI
PRIMARY SCHOOL

In March of 1869 the Japanese government started revolutionizing the Japanese education system. In the following March it opened 6 primary schools in Tokyo. One of them was opened here in the precincts of Saifukuji temple and called the 4th school. This is the birthplace of one of the earliest public primary schools in Tokyo.
The 4th school existed here until the middle of April in 1874. In August in 1877 it was renamed Ikuei primary school and in October 1885 this school was moved to the present site (8-26, 2-chome, Asakusabashi).


「第四校」を「The 4th school」と訳すのはたぶん誤りと思われます。

地図

地図

台東区蔵前4丁目 付近 [ストリートビュー]