「かもめの水兵さん」の発祥地

かもめのすいへいさんのはっしょうち

横浜高速鉄道みなとみらい線 元町中華街駅から北東300m。山下公園に係留されている「氷川丸」のすぐ前に「かもめの水兵さん」の歌詞を刻んだ石碑とその説明のための副碑が並んで建っている。

童謡『かもめの水兵さん』は、武内俊子 作詞・河村光陽 作曲で、1937(昭和12)年にレコード化された。歌っていたのは河村光陽の娘で童謡歌手の河村順子、当時11才だった。

碑は横浜開港120年 昭和54年(1979)に建てられた。


2019年に再訪してみると、周囲を植栽で囲まれ賑やかになっていた。

写真

  • かもめの水兵さん
  • かもめの水兵さん
  • かもめの水兵さん 畧歴
  • 「かもめの水兵さん」の発祥地 (2019)
  • 「かもめの水兵さん」の発祥地 背面(2019)

碑文

かもめの水兵さん

神奈川県知事 長洲一二

武内俊子 作詩
河村光陽 作曲

一、
かもめの すいへいさん
ならんだ すいへいさん
白いぼうし 白いシャツ 白いふく
波にちゃっぷ ちゃっぷ うかんでる
ニ、
かもめの すいへいさん
かけあし すいへいさん
白いぼうし 白いシャツ 白いふく
波をちゃっぷ ちゃっぷ こえていく

碑をたてることば

作詞者武内俊子さんは昭和八年の秋ある日このメリケン波止場から船で布教のためハワイヘ旅立たれる叔父さんを見送りにこられました それはよく晴れた日の午後のことで桟橋一帯に白いかもめがたくさん飛びまわりそれが折からの夕陽に映えてとても美しく印象的でした この童謡はこのときの光景を描いたもので横浜港は「かもめの水兵さん」の発祥地であります

昭和五十四年十一月 野間省一

畧歴

 作詞者 武内俊子さんは 明治三十八年 広島県三原市に生まれ 県立広島高等女学校を卒業後 大正十四年秋上京して家庭の人となられました 四児の母として 育児のかたわら 数多くの童謡 童話を書き残されましたが 昭和二十年四月七日 四十一才で東京世田谷 三軒茶屋の自宅で 病没されました 菩提寺は 広島市江波町慈仙寺にあります

 作曲者 河村光陽さんは 明治三十年 福岡県赤池町に生まれ 小倉師範を卒業され 上京後 昭和十一年からは 童謡の作曲に専念されました 武内さん作詩の「船頭さん」「リンゴのヒトリゴト」も作曲されましたが 昭和二十一年十二月 他界されました 菩提寺は東京 文京区の吉祥寺にあります

地図

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