川口宿と鋳物業の発祥

かわぐちしゅくといものぎょうのはっしょう

東北線 川口駅の南東750m、埼玉高速鉄道 川口元郷駅の南西約1kmにある川口神社。護国神社を擁する戦争礼賛傾向のある境内の、拝殿手前左側に金属製の案内碑が立つ。鋳物業の発祥の他、川口神社、神鏡についての説明もセットになっている。

なお、川口の荒川近辺ではたくさんの鋳物工場があったが、年々その数を減らし、かわりに巨大マンション建設がドドドドドと進んだ。碑文にもあるように大消費地江戸が近かったので、良い物を作ればとくに売り込まずしてなんとなく繁盛していたのだろう。流通が良くなった現代では売り込みが下手すぎて需要を掘り起こせず、がんばって売り込んできた物に注目があつまるようになって、売り込みが控えめな物は何でも衰退傾向に転じているようだ。

なお、国道122号岩槻街道よりも下流側にはまだいくらか鋳物工場が操業している。

せっかくなので、「鋳物の発祥」パートだけでも鋳物で拵えても罰が当たらなかったようにも感じたが、これが鋳物業に対する正しい反応なのかもしれないと感じさせる。

写真

  • 川口神社(南側)
  • 川口神社(拝殿)
  • 川口宿と鋳物業の発祥 ほか
  • 川口宿と鋳物業の発祥 ほか
  • 川口宿と鋳物業の発祥 ほか
  • 戦争大好き

碑文

*川口宿と鋳物業の発祥

鎌倉時代の大納言源雅忠の娘が書いた『とはずがたり』には、現在の川口にあたる「小川口」の情景が描かれています。当時このあたりは、鎌倉街道中道が通っていました。そして江戸時代、日光御成道が整備され、岩淵宿につぐ川口宿が成立しました。

江戸時代後期の『遊暦雑記』には「この駅の南 うら町筋に釜屋数十軒あり、但し鍋のみの鋳家あり、釜のみ作る舎あり、・・・」と書かれており、当時現在の裏町通り沿いに鑄物屋がならび、鍋・釜・鉄瓶といった日用品を製造していた様子が記されています。川口鋳物は、室町時代末期にはすでに行われていたようですが、鋳物に適した砂や粘土がとれたこと、この街道や荒川と芝川の舟運、江戸という大消費地に隣接していたことなどの要因によって盛んになっていきました。

地図

地図

川口市金山町 付近