工業都市 川崎 発祥の地

こうぎょうとしかわさきはっしょうのち

東海道本線 川崎駅から北東に500m。川崎駅西口前に広がる“ラゾーナ川崎プラザ”という巨大なショッピングモールから “ソリッドスクエア”を越えた先に“かわさきテクノピア”と呼ばれる区域がある。 この一角にある“川崎市産業振興会館”前の植え込みの中に 「工業都市川崎発祥の地」の碑が建っている。この碑は 今年7月にできたばかりで,新品ホヤホヤ状態

川崎市は 神奈川県の東端,東京都と横浜市の間にある工業都市。江戸時代には 東海道の宿場の一つとして賑わったが,明治5年(1872) に新橋-横浜間の鉄道が敷設され 川崎駅ができると,駅周辺の都市化が急速に進んだ。 明治後期になると,現在の京浜急行・大師線が開業して,駅周辺から多摩川の南岸沿いに 大型の工場が建設されて,後の京浜工業地帯の中心部を形成するようになった。

川崎に進出した最初の大企業は,明治40年(1907) この地に工場を建てた 横浜製糖(後の明治製糖)であった。その後の工場建設は 以下のように続く。

明治41年(1908) 東京電気 (後の東芝)
明治42年(1909) 日本蓄音器 (後の日本コロンビア)
明治44年(1911) 東京製線 (後の三菱電線)
明治45年(1912) 日本鋼管 (後のJFE)
大正3年(1914) 富士紡績
大正3年(1914) 鈴木商店 (後の味の素)

写真

  • 工業都市川崎発祥の地
  • 工業都市川崎発祥の地 碑文
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碑文

工業都市川崎発祥の地

川崎市産業振興会館が建つこの地は, 明治製糖川崎工場跡地であ り, 川崎市が工業都市として発展する端緒となった場所である。
一九〇六(明治三九)年九月, 横浜の砂糖輸入商増田増蔵氏と安倍幸 兵衛氏を中心に設立された横浜精糖株式会社が, 一九〇七(明治四〇) 年十二月, この地に粗糖精製工場を建設し, 翌1907(明治四一)年 一月から創業を開始した。工場の土地は, 元川崎町長で後に初代川崎 市長を務めた石井泰助氏らの尽力で, 同社に安値で提供された。一九一二(明治四五)年一月に, 同社は明治製糖株式会社に合併され, 明 治製糖川崎工場になった。
一九〇八(明治四一)年, 川崎駅西側に, 東京電気株式会社が工場を 建設し翌春から操業を始めた。後の東芝堀川町工場である。
安価な工場用地があること, 東京と横浜に近接していること, 原 料・製品の輸送が, 水運・陸運とも便利なことに加え, 議会・行政一体 となった工場誘致の取組などから, 川崎には, 横浜精糖を皮切り に, 東京電気, 日本蓄音機(後の日本コロムビア), 日本鋼管, 鈴木商 店(後の味の素), 富士瓦斯紡績など大規模工場が次々に進出し, 川崎 は, 日本を代表する工業都市になっ ていった。
明治製糖川崎工場は, 一九八〇(昭和五五)年に千葉県に移転した。 その跡地は, 川崎市の構造に基づき, 1988(昭和六三)年「か わさきテクノピア第一街区」として再開発され, 研究開発とし 川崎の拠点地区のひとつになっている。
川崎市産業振興会館と川崎市産業振興財団の二十周年記念事 業の一環として, この記念プレートを設置するものである。

二〇〇八(平成二〇)年七月七日

川崎市
財団法人川崎市産業振興財団

地図

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川崎市幸区堀川町 付近 [ストリートビュー]