国民健康保険 制度の発祥

こくみんけんこうほけんせいどのはっしょう

東武鉄道 越谷駅から西に約400mにある越ヶ谷市役所(越谷市越ヶ谷4丁目2-1)の、建物南側に広がる前庭。市の木であるけやきの大木や、「文華」と名づけられた像が見られるが、東端の道路との境界の垣根の前に、相扶共済と記された大きな碑が立つ。

越谷市の前身となる越ヶ谷町に於いて結成された越ヶ谷順正会が、昭和11年に成立した国民健康保険類似組合第1号であるとしている。

順正会は、町税完納を目的とした無尽講が起こりで、税滞納は家族の罹病が大きな原因となることがわかり、医療救助を目的とした共済組合へと発展した。

越谷市指定 有形文化財 越ヶ谷順正会関連資料

 越ヶ谷順正会は国民健康保険法成立前の昭和11年に越ヶ谷町に成立した国民健康保険類似組合第1号です。
 越ヶ谷順正会の前身は昭和初期 に設立された「至誠会」という無尽講で、町税完納を目的とした組織でした。その後、町税の滞納は家族の罹病が大きな原因であることを知り、医療救助を目的 とした共済組合「順正会」の設立を目指しました。しかし「順正会」の設立は治安警察法に触れるとして一時頓挫しましたが、国民健康保険制度の成立を目指す内務省の協力を得て昭和11年に「越ヶ谷順正会」が成立しました。その後、昭和13年7月に国民健康保険法が公布されると、「越ヶ谷順正会国民健康保険組合」として認可され、昭和16年には「越ヶ谷町国民健康保険組合」へと発展していきました。
 越谷市には順正会に関連する資料として、(1)組織 の概要や日誌を記した『創立の動機と日誌』、(2)越ヶ谷順正会の成立から越ヶ谷順正会国民健康保険組合への成立過程を記した『経過書』、(3)「順正会 旗」、(4)昭和23年に建立された「相扶共済の石碑」、が残されています。
  ※(1)~(3)は市立図書館で展示中、(4)は市役所前庭に建てられています。

越谷市 教育総務部

写真

  • 相扶共済の碑と案内板
  • 国民健康保険制度の発祥 案内板
  • 相扶共済の碑 背面
  • 越ヶ谷市役所 南東側 文華像

碑文

越谷市指定有形文化財 歴史資料

越ヶ谷順正会関連資料(「相扶共済」の石碑)

平成九年三月二十八日指定

この石碑は国民健康保険制度の発祥とされる「越ヶ谷順正会」の功績を讃え、国民健康保険法施行十周年にあたる昭和二十三年に建立されたものです。正面に刻まれた「相扶共済」の文字は当時の厚生大臣によるもので、裏面には厚生省顧問による碑文が刻まれています。

碑文には「この町の有志が創設した越ヶ谷順正会は当時、国民健康保険制度の先駆者として世間の話題を集めた。今や国民健康保険法施行十周年を迎え、この制度が全国を風靡するほどになった。ここに記念碑を建立して草創の栄誉と先駆者の偉業を顕彰するものである。」との内容が書かれています。

なお、「越ヶ谷順正会」に関連する文書類は市立図書館に保管されています。

平成九年 越谷市教育委員会

相扶共済

古来越ヶ谷の地たる人文の発達を以て知られた相扶共済を使命とする國民健康保険の此■に発祥したる亦宜なる哉当町有志の創設した越ヶ谷順正会は國民健康保険制度の先駆者として当時天下の耳目を鍾めた今や法律施行満十年該制度が全國を風靡するの勢を為す時記念碑の工成る余旧縁あり敢て録して草創の栄誉と先覚者の偉績を顕彰するものである
昭和二十三年七月一日
厚生省顧問 商学博士 清水玄撰 書

地図

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越ヶ谷市役所 付近 [ストリートビュー]

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