萬葉集 発燿讃仰碑

まんようしゅうはつようさんごうひ

近鉄大阪線 大和朝倉駅から北東に2km。桜井駅方面から国道165号を北東に進むと,朝倉小学校の先に白山神社(桜井市黒崎339)がある。境内の南東端に石柱が建っている。近くには雄略天皇の歌碑と「雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地」という説明板がある。

萬葉集は7世紀~8世紀にかけて編纂された現存最古の歌集。全20巻の巻頭を飾るのは,雄略天皇の御製とされる次の歌である。

もよ み持ち 掘串ふくしもよ み掘串ぶくし持ち
この丘に 菜摘なつます 家聞かな 名告なのらさね
そらみつ 大和やまとの国は おしなべて われこそ
しきなべて われこそいませ われこそは らめ 家をも名をも

(万葉集巻1-1)

(意訳)
美しいかごを持ち 美しいへらを持ち
この丘で 菜を採む娘よ どこの家の娘か 教えてくれ。
大和の国は すべて私が統率している
はっきり言おう、わが家柄もわが名も

昔は女子の名は母しか知らなかったので,名を明かすことは求婚に応じることを意味した。つまりこれは雄略天皇の素朴でおおらかな妻問いの歌である。

白山神社のあるこのあたりは,雄略天皇の泊瀬はつせ朝倉宮あさくらのみやがあったところとされる。このことをもって万葉集がこの地からはじまったとするのはいささか強引ではあるが、リスト先頭にあるものを発祥と呼ぶ傾向はよくみられる。

写真

  • 萬葉集発燿讃仰碑
  • 雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地
  • 萬葉集發燿讃仰碑 背側面

碑文

萬葉集發燿讃仰碑

保田與重郎拝書
昭和四十七年桜井市建之

雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地

 桜井市黒崎の「天の森」が,朝倉宮の地であろうとの説は,『大和志』や『日本書紀通証』などで,述べられている。が立地的に見て,宮を営むのに適地ではない。保田與重郎氏は,この白山神社付近をその候補地とし,雄略天皇の歌で始まる「万葉集」の発祥の地として,神社境内に記念碑を建立したものである。

桜井市教育委員会

地図

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桜井市黒崎 付近 [ストリートビュー]