松浦党 発祥の地

まつらとうはっしょうのち

“道の駅松浦(まつうら)ふるさと館”横の国道松浦バイパスの志佐川に架かる橋のたもとに木製の碑(看板)が建っている。脇に 松浦党についての説明板が設置されている。

平成18年(2006) に松浦市今福町仏坂免の道路公園にある碑について紹介したが、同内容のものが別の場所に新たに明らかになったので紹介する。

写真

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碑文

松浦党発祥の地

松浦党とは北松島半島を中心として海を舞台に活躍した武士団で、嵯峨天皇の子孫、源ひさしが始祖といわれています。久は1069年にこの地方を治めるため宇野御厨検校みくりやけんぎょう(長官)として現在の松浦市今福町に赴き、梶谷城かじやじょうを築いて「松浦」の姓を名乗り、以後、久の子孫がこの地方 に拡がっていきました。

松浦党の水軍はとみに強く、源平合戦にも平家方の主力として参戦しました。また、元軍が北部九州に攻め寄せた「文永の役」「弘安の役」では伊万里湾内に集結した元軍に奇襲戦法で戦いました。松浦水軍は村上水軍と共に全国にその名を馳せました。

松浦市
社団法人平戸法人会

社団法人平戸法人会社団化二十週年記念事業

平成21年2月

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地図

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志佐町庄野免 付近 [ストリートビュー]