念仏 発祥之地

ねんぶつはっしょうのち

信越本線 直江津駅から西に2km。県道468号 大潟上越線の“国分寺入口”交差点から北西に200mほど入ったところに“居多ヶ浜記念堂”や八角形の“見真堂”がある。見真堂の横の 海が見渡せる場所に「念仏発祥の地」と刻まれた大きな丸い石碑が建っている。

浄土真宗の宗祖と称される親鸞は,法然の教えを受けて専修念仏(浄土宗)の信仰に帰依。独自の寺院を持たず各地に念仏道場を設ける浄土宗の教えは隆盛を見たが,既成の仏教教団から弾圧を受け 朝廷の怒りを買った結果,建永2年(1207) に越後国国府(上越市)に流罪となった。(承元の法難)

僧籍を剥奪された親鸞は 藤井善信と名乗り,船で国府の居多ヶ浜に到着したと伝えられる。このためこの地は“親鸞上陸の地”と呼ばれている。親鸞は“竹之内草庵”など 国府に7年間を過ごし,その間に教行信証の基礎となる念仏を生み出したと言われており,この地は「念仏発祥の地」となった。流罪を解かれた後 東国(常陸国)での布教のために国府を離れた。

昭和42年(1967) に居多ヶ浜記念堂が,また昭和46年(1971) には八角堂の“見真堂”が建てられた。“見真”の名は,明治9年(1876) になって明治天皇から親鸞に贈られた大師号である。

写真

  • 念仏発祥之地
  • 見真堂 案内標(T.K.)

碑文

念仏発祥之地

地図

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上越市五智6丁目 付近