日本 バレエ 発祥之地

にっぽんばれえはっしょうのち

江ノ島電鉄 七里ヶ浜駅から200m西、海に面して淡いオレンジ色の小さいが瀟洒な建物があり、この建物の前面にバレエ発祥之地記念碑がある。

ここは元「パブロバ記念館」と呼ばれ、エリアナЕле́наパヴロバПа́вловаの遺品や日本のバレエ界に関する資料などが公開されていたが、記念館は平成8年(1996) に閉鎖され、現在は一般の住宅となっていて、前面にある記念碑のみが公開されている。

「日本のクラシック・バレエ育ての親」と呼ばれるエリアナ・パブロバは、帝政ロシアの貴族の家に生まれ、ロシア革命のため母と妹と共に日本に亡命し、大正13年(1924) から鎌倉に住んでこの地でバレエスクールを開設した。パブロバの指導を受けた日本人は数多く、貝谷八百子・東勇作・近藤玲子・服部智恵子等日本バレエ界の発展を支えた人材を育成した。

エリアナは昭和16年(1941) に日本軍慰問先の南京で病死し、同じくバレリーナであった母ナタリア・妹ナデジタと共に横浜山手の外人墓地に眠っている。

写真

  • 日本バレエ発祥之地 パブロバレリーフ
  • 日本バレエ発祥之地
  • 元パブロバ記念館

碑文

日本バレエ発祥之地

 エリアナ・パブロバは大正九年 動乱の祖国ロシアを逃れて来日
昭和二年 この地にバレエスクールを建てた エリアナは自分自身の
舞台活動を通じて 日本にクラシックバレエを紹介するとともに
多くの舞踊家を育て 日本バレエ界の基礎づくりに貢献した
 第二次大戦後 日本のバレエ界の発展を支えてきた人達の多くは
パブロバの薫陶のもとに育った
 昭和八年日本に帰化 霧島エリ子を名乗ったが 昭和十六年軍属と
して日本軍慰問旅行の途中 南京で戦病死 鎌倉市は市葬をいとなみ
のち靖国神社に合祀された
 母ナタリア 妹ナデジタはエリアナを輔け エリアナの死後 その
仕事をついだナデジタは昭和五十七年この地で没した

昭和六十一年十一月吉日

エリアナパブロバ顕彰会

地図

地図

鎌倉市七里ヶ浜1丁目 付近 [ストリートビュー]