農業協同組合 発祥の地

のうぎょうきょうどうくみあいはっしょうのち

東北新幹線/東北本線 福島駅から 東に12km。国道115号線から福島県道51号に入り,霊山町りょうぜんまち上小国の集落に入ると,小国ふれあいセンター(伊達市霊山町上小国字腰巻7)がある。この施設の敷地内,南側道路際に大きな石碑と説明板が建っている。説明板は文字がほとんど読み取れないほど赤く錆びている。 またふれあいセンターへの入口付近の道路沿いに「農業協同組合発祥の地」と書かれた案内看板が複数建っている。

農業協同組合は,あらためて説明するまでもなく,全国のほとんどすべての農家を組合員とする組織で,農業の指導・流通支援・金融活動など、多岐にわたる活動を行っているが,その前身は 明治33年(1900) に公布された「産業組合法」に基づいて設立された「農村組合」であった。

ここ旧 霊山村の上小国地区は交通が不便で 日用品など物価が高く,農民の生活は東北地方の中でも特に困窮していた。この状態を憂いた佐藤忠望は 日本で最初の信用組合、無限責任小国信用組合を設立し,生活資金を貸し付けて住民の救済にあたった。これは 産業組合法の成立の2年前のことで,事実上の日本初の農業協同組合と言われている。

農業協同組合の発祥については異論もある。江戸時代(天保年間)に,農学者・大原幽学が千葉県長部村ながぺむら(現 旭市)で興した“先祖株組合”は,日本はもとより 世界でも最初の農業協同組合であると称されることがある。

写真

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碑文

農業協同組合発祥の地

明治三十一年十月二十三日
佐藤忠望先生この地に
日本最初の農業協同組合を創立す

福島県知事 木村守江 謹書

 明治三十一年十月二十三日,郷土の先覚者佐藤忠望先生の発想,努力により,上小国信用組合が創設された。これは翌々三十三年九月,産業組合法が施行される二年前の事であり,同法立案の引き金となったのである。
 したがって上小国信用組合は,日本最初の農業協同組合であり,その成り立ち,経過等については,本県産業組合の指導者として有名な,渡部雄晤氏の「久美愛夜話」に明記されているところである。
 零細農家が力を寄せ合って,平穏な経済生活をする為には,産業組合が必要且つ適切な組織であることに着目,これを実現した先生の悲願は,極めて勝れたものであり,敬服の至りである。
 この事実を後世に伝え,地域住民の鑑として顕彰する為,昭和四十年,町内四農協の合併を機に建設されたのがこの記念碑である。

平成五年十月二十三日

地図

地図

伊達市霊山町上小国 付近 [ストリートビュー]