音更町 発祥之地

おとふけちょうはっしょうのち

 
撮影:
2009年5月(写真 徳利旅さん)
2023年5月(写真 まさ・なち さん)

根室本線 帯広駅から北東に5Km。音更町おとふけちょうの市街地から国道73号(帯広浦幌線)を東に進むと、相生橋の先に本照寺がある。寺の前に国道に面して「音更町発祥の地」の大きな石碑が建っている。

音更町は十勝平野のほぼ中央にあって、帯広市の北に接している。地図を見ると、音更町の市街地は帯広市の市街地と十勝川を挟んで接していて、帯広市の郊外となっているように見える。

明治13年(1880)、この地オトフケプト(現在の音更町)に一人の和人が定住するようになった。岩手県出身の大川宇八郎。彼はアイヌから鹿の革などを買い付ける一方で、広大な原野を開墾して200頭を超える牛馬を飼育する牧場を経営。また入植者を親身に世話をするなど音更の発展に寄与して、80年の生涯を音更の地で終えた。

音更開基60年に際して下士幌しもしほろ神社境内に、宇八郎の功績を讃える顕彰碑が建てられたが、開基80年に当たる昭和55年(1980) に顕彰碑は本照寺に移され、同時にここに「音更町発祥の地」の記念碑が建てられた。

写真

  • 音更町発祥之地(2023)
  • 音更町発祥之地(2023)
  • 音更町発祥之地(2023)
  • 音更町発祥地
  • 音更町発祥地2
  • 音更町発祥地3

碑文

音更町発祥之地

北海道知事 道垣内尚弘書

碑文

明治十二年、岩手県人大川宇八郎翁が最初の和人としてこの地に定住し、多くの入植者を助け開拓の祖として敬慕された。

百年のむかしより、樹海茫々未踏の原野に鍬を振るい、豊かな理想卿を築かんと風雪に耐え幾多の苦難を克服してきた多くの先人の偉業のうえに今日の音更町があることを忘れてはならない。

我々は、この大いなる遺産を受け継ぎ、さらに飛躍する礎として、この碑を建立し次代に引き継ぐものである。

昭和五十五年十月十五日

音更町

地図

地図

音更町下士幌北2線東 付近 [ストリートビュー]