日本 労働組合運動 発祥之地

にっぽんろうどうくみあいうんどうはっしょうのち

東北新幹線の八戸駅から南西に300m。八戸駅前にユートリー(八戸地域地場産業振興センター)と,その奥に駅前立体駐車場がある。駐車場敷地内の左隅に“U”の字をかたどった石碑があって「日本労働組合運動発祥之地」と刻まれている。

明治中期,現在の東北線・常磐線などは“日本鉄道会社”の所有で,1万人を超える社員を擁する日本最大の鉄道会社だった。この日鉄の“機関方”(蒸気機関車を運転する職種)が待遇改善を要求するストライキ“日鉄機関方争議”を起こした。明治31年(1898) のことである。

その要求内容は“社内身分の改善・賃金引き上げ”などで,最初は「列車が遅延を起こしても急いではならない」という服務規定を厳格に守る一種の順法闘争を行い,各地で列車の遅延が生じた。これに対して会社側は強圧的に対応し,首謀者とみなした者2名を解雇し,運動を潰そうと図った。

これを受けて機関方はストライキに突入し,上野から青森まで全線で運転が停止する事態となった。一時は警官を導入するなど険悪な情勢となったが,争議が他の鉄道会社にも波及する兆しが出てきたため会社側が折れて,労働者側の要求をほぼ全面的に受け入れて争議は集結した。

日本鉄道は,この争議の8年後の明治39年(1906) に国有化され,国鉄に吸収された。

この発祥碑は,争議発生100周年を記念して,平成14年(2002) に建立された。

写真

  • 日本労働組合運動発祥之地
  • 日本労働組合運動発祥之地 碑文
  • 日本労働組合運動発祥之地 背面

碑文

日本労働組合運動発祥之地

日本機関方同盟罷工記念碑

一九九八年二月二十四日 百周年記念式典挙行
全日本労働組合発祥百周年記念事業実行委員会
記念大会長 島守光雄  実行委員長・三上秀光

二〇〇二年九月五日 建之

碑文

 一八九八年(明治三十一)二月二十四日,当時最大の鉄道会社である「日本鉄道」の尻内(現八戸)機関庫から,機関方(機関士)らによる同盟罷工(ストライキ)が発生し一日を経ずして東北,関東の全線全機関庫に広がった。
 この罷工を指導した中心人物は,尻内機関庫の機関方石田六次郎であった(石田は後に復職,一九一九年知内の区長歴任)。
 この争議は,日清戦争後続発した争議の中で最大規模のもので,日本労働運動史上初めて労働者側の全面勝利に終ったこと,争議後に機関方らは日本で初めての本格的な単一労働組合「日鉄嬌正会」を組織したことからも,画期的なできごとであた。
 また,この罷工の最大の意義は,労働運動だけでなく,日本社会の近代的発展に大きな影響を与えたことにある。
 石田六次郎は次のように喝破する。「実業界に改新を与え,全国無数の団体に新空気を送り,またこれと同時に識者を覚醒し,直接間接 国家の裨益少なしとせず。これらの美挙を永遠に伝う,決して無益にあらず。」(「我党待遇期成大同盟会一ノ関支部記事」序,石田六次郎述 明治三十一年四月)

地図

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八戸市一番町1丁目 付近