成人式 発祥の地

せいじんしきはっしょうのち

日豊本線 日向市駅から 北西におよそ30km。国道327号を車で1時間程走ると 諸塚村に入る。 村役場の北東に“諸塚村中央公民館”(エコミュージアム“しいたけの館21”)がある。 公民館の入口に 藤井長治郎という人物の銅像と並んで黒い石碑が建っている。

国民の祝日に関する法律」(通称“祝日法”)には,成人の日は

1月の第2月曜日
おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。)

と定められている。

この法律は昭和23年(1948)に制定され,その後 祝日の追加・変更に伴って 何回も改定がくり返されてきたが, 成人の日は 法律制定時から記載されている。しかし この法律の施行は 同年9月23日の秋分の日からなので, 成人の日が最初に国の祝日として行われたのは 翌年1月が最初であった。

諸塚村においては その2年前の 昭和22年(1947)から独自に“成人祭”を実施している。敗戦によって失われた希望と誇りを取り戻すために,男子20歳,女子18歳の青年を集めて 10日間合宿をしながら,成人のための講座を行い,最終日に全員に修了証書を手渡した。

この行事を全国に先駆けて始めたのは 当時の村長・藤井長治郎氏(公民館の前に建つ銅像)で, 村の予算が足りない所は私費で補い,寄付集めにも走り回ったと言われ, この活動は村長を退任した後も生涯続けられた。一説によれば,諸塚村の成人式をならって 文部省が“成人の日”を制定したとも言われている。

しかし 埼玉県わらび市にも「成年式発祥の地」の碑がある。蕨市の“成人式”は 1946(昭和21)年11月に最初の式典(この時は「青年祭」と呼ばれていた)が行われており, 開催の順番からすれば こちらの方が早かった。祝日法における「成人の日」は,これら地方での実績を基にして国の祝日として制定されたのだろう。

写真

  • 成人式発祥の地
  • 成人式発祥の地 背面 碑文

碑文

成人式発祥の地

成人式発祥の地碑文

昭和20年8月,日本は第2次世界大戦に敗れ,満20才の男子を対象に実施されていた徴兵制度も廃止された。国民は未曾有の敗戦により希望を失い,道徳は廃れ,郷土の将来を背負うべき若者から成人としての自覚が喪失されつつあった。これを憂えた先輩たちは郷土の復興を願い諸塚村文化会を結成して教育に力を注いだ。
 当初は昭和21年から男子20才,女子18才の男女を対象に,約10日間の宿泊訓練(成人講座)を行い,最終日を成人祭と称して証書を授与したのが成人式の始まりで,第1回は昭和22年4月3日である。2年後の昭和24年には国でも成人の日が制定された。特に当時の藤井村長は社会教育による村おこしを力説し,成人式を村の行事として定着させた。
 この史実を後世に伝え,先人の遺徳を顕彰すべく自治公民館連絡協議会が発起し,各自治公民館長,村三役,村議会議員各位の浄財寄進により,記念碑建立の資金としたものである。

平成元年10月6日 諸塚村自治公民館連絡協議会

地図

地図

東臼杵郡諸塚村家代 付近