清酒 発祥の地

せいしゅはっしょうのち

阪神電鉄 宝塚線 中山駅の南東2.5km。 伊丹北高校・天王寺川中学・鴻池小学校を結んでできる三角形の中心付近の, 少し住宅地に入り込んだ場所に, 3つの酒樽を積み上げたデザインの発祥碑が建っている。

この地は かつて鴻池家があった場所。もともと 伊丹、池田などの摂津北部は酒の生産地であった。

当時、日本酒といえば濁り酒であった。慶長年代(1600年ごろ)に 鴻池幸元によって清酒の大量生産技術が開発され, 一般大衆にも清酒が流通するようになった。伊丹で造られた酒は 伊丹酒いたみざけなどと呼ばれ, その名前は江戸でも高まり 高値で取引された。

鴻池家は, 17世紀の初めに 伊丹から大坂に進出し, 大坂〜江戸間の海運業や酒造業などを 手がけて成功, さらに両替商などに手を広げ, 豪商鴻池・鴻池財閥に発展していった。

写真

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碑文

清酒発祥の地

平成十二年十一月吉日

清酒発祥の地・鴻池

 戦国時代の天正6年(1578年), 尼子あまご氏の家臣山中 鹿之助の長男, 新六幸元ゆきもとが遠縁を頼ってここ鴻池村に 住みつき, 酒造りを始めました。最初はにござけを造っ ていましたが, 慶長5年(1600年)に双白澄酒もろはくすみざけ(清酒) の製法を初めて発見することができました。

 この清酒を江戸へ運んで販売し, 次第に財を貯え, 後に分家を大坂に出して, 酒販売・海運業・金融業でも成功を収めました。これが豪商・鴻池家の始まり です。
 ここから北西約140mにある児童公園に建つ「鴻池稲荷祠碑いなりしひ」には, そうした鴻池家の歴史が詳しく記され, 清酒発祥之地・鴻池の栄光を今に伝えています。

地図

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伊丹市鴻池 付近 [ストリートビュー]