泉陽高等学校 発祥之地

せんようこうとうがっこうはっしょうのち

阪堺電車 宿院しゅくいん停留場から 250mほど東に開口あぐち神社(堺市堺区甲斐町東2丁1-29)がある。神社拝殿前に 自然石の大きな石碑が建っている。

泉陽高等学校は, 明治7年(1874) にこの場所に「女紅場にょこうば」として開設された。 女紅場とは, 明治初期に全国に作られた女子教育機関で, 裁縫などの女性の仕事を教えたり, 就学の機会のなかった女性に対する補習教育などが行われた。

その後「堺区立堺女学校」「市立堺高等女学校」「大阪府立堺高等女学校」などと改称され, 明治36年(1903) には現在地(堺市堺区車之町東3丁目)に校舎を新築して移転。昭和23年(1948), 学制改革によって「大阪府立泉陽高等学校」となり, 同時に男女共学となって 現在に至る。

「開口神社」は 奈良時代以前に創建さたと言われる 非常に歴史のある神社。境内が広かったためか, それぞれ短期間ではあるが, 明治7年(1874) に女紅場(泉陽高校), 明治22年(1889) 堺市役所, 明治28年(1895) 府立第二尋常中学(三国丘高校), 明治32年(1899) 堺幼稚園(第一幼稚園)などが境内に開設された。

写真

  • 泉陽高等学校発祥之地
  • 泉陽高等学校発祥之地 碑陰
  • 泉陽高等学校発祥之地 建碑協賛者

碑文

大阪府立 泉陽髙等學校 發祥之地

明治七年(1874年)五月 この地に堺県により女子教育の 場として女紅場が設置され 明治三十三年(1900年)堺市立 堺高等女学校 明治四十五年(1912年)大阪府立堺高等 女学校 昭和二十三年(1948年)学制改革により共学の 大阪府立泉陽高等学校となる

爾来卒業生数は既に三万名を越え伝統と栄光は 世に冠たるものがある

茲に創立百周年を迎えるに当り改めてその歴史を 讃え一層の飛躍を祈念して発祥の地に記念碑を 建立する次第である。

平成十二年四月(2000年)
 大阪府立泉陽高等学校同窓会 泉陽会

第十三代校長 村上 久三郎 文
昭和三十八年卒 前島 良彦 書

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堺区甲斐町東2丁目 付近 [ストリートビュー]