千厩 地名 発祥の地

せんまやちめいはっしょうのち

ドラゴンレール大船渡線(気仙沼線)千厩駅から南西に4km。国道284号 気仙沼街道を千厩から一関方面に向かい,千厩斎苑の道を左折して200mほど先の薄衣街道 国道284号バイパス高架の下近く。左手に「千厩地名発祥の地」と書かれた木碑と,説明板が建っている。

「千厩」という地名の由来は,

  • 奥州藤原氏が全盛のころ,ここに厩舎を建てて多くの馬を生み出したことから『千馬屋』と呼ばれた
  • 前九年の役で,八幡太郎義家が安倍貞任退治のために奥州に来た際に,岩窟に千頭の馬をつないだため

などの説があるが,地元では後者を採っている。

源平の合戦で 源義経がひよどり越えで急斜面を駆けおりたことで有名な名馬“太夫黒たゆうぐろ”は,藤原秀衡から贈られた 千厩産の馬であった,という伝承もある。

千厩町は 岩手県一関市と宮城県気仙沼市のほぼ中間に位置する町であったが,平成17年(2005) に一関市など7市町村と合併して,一関市となった。

写真

  • 千厩地名発祥の地
  • 千厩地名発祥の地 説明
  • 千厩地名発祥の地 札
  • 千厩地名発祥の地

碑文

千厩地名発祥の地

 奥州平泉が栄える以前の天喜五年(1057年)源頼義,義家父子が安倍貞任を討つため奥州に出向き,黄海の地で,決戦に及んだ。世に言う前九年の役である。
 その数年後川崎の柵に立て籠もる安倍軍の将金為行を攻撃するため,義家がこの地に陣を敷き,雨露を凌ぐこの岩窟に千頭の軍馬を繋いだといわれている。近年迄岩肌に残っていた馬の蹄の跡は義家の愛馬のものと語り伝えられている。この岩肌の蹄の跡は厩として使用された岩窟とともに新道開鑿工事のため取り壊されたが,千頭の軍馬を繋いだ跡として千厩地名発祥の地となっている。

千厩地名発祥の地保存会
千厩町観光協会

平泉藤原氏
この地に馬千頭を
飼育せるにより
 千厩と称す
源義経名乗馬
太夫黒は当地立
として有名なり

地図

地図

一関市千厩町千厩 付近 [ストリートビュー]