渋団扇 発生の地

しぶうちわはっしょうのち

八高線・東武 越生線 越生おごせ駅から 北西に400m。越生町役場から 東に100mの地点の道路脇に, ガードレールに囲まれた植え込みの中に 木碑が建っている。

「渋うちわ」は「柿うちわ」とも呼ばれ, 竹の骨に紙を貼って 柿渋を塗り重ねたもの。水や虫に対する耐久性があり 機械的な衝撃にも強いので, 主に台所などで使用された。 かまどの火に風を送ったり 鮨飯を冷ますためにあおいだりするのに よく使われた記憶がある。

越生では 江戸時代からうちわが作られていたと言われ, 越生町の竹・小川町の和紙 など 地元に産する 材料を使って, うちわの一大産地になっていた。

“越生小唄”(野口雨情・作詞)に

   越生名物 生絹(きぎぬ)と団扇,誰が着るやら アリャ 使ふやら

と唄われている。
この地のうちわは“越生うちわ”と呼ばれ, 明治初期には 年間42万本, 明治末には 240万本ものうちわが作られ, 首都圏に出荷されていたという。昭和初期には うちわ製作に関わる家が 50軒近くあった。
しかし 近年は, 安価なプラスチック骨のうちわが作られるようになり, また 扇風機やクーラーの普及に よって 伝統的なうちわの需要は激減し, 現在 越生で その伝統を守ってうちわを生産しているのは ただ一軒「うちわ工房・しまの」のみになっている。

ちなみに, 現在国内の産地は, 丸亀うちわ(香川), 京うちわ, 江戸うちわ, 岐阜うちわ などがあるが, その中で 丸亀うちわは 全国シェアの 80~90% にも達している。

更新されたようです

2014年頃までは木碑だったが、2015年頃からサイズアップした石碑に置き換わったようだ。細長いものは木柱からそのまま移植されたらしく、新たに写真と説明のプレートが追加された。追加された方のプレートの褪色が早い。

写真

  • 渋団扇発生の地
  • 渋団扇発生の地(2019)
  • 渋団扇発生の地(2019)
  • 渋団扇発生の地 碑文(2019)
  • 渋団扇発生の地 背面(2019)

碑文

渋団扇発生の地

江戸末期から昭和四十年頃迄
は盛んに作成され, 越生の渋
団扇として名高かった。

●埼玉県商工団体
 パワーアップ支援事業
●越生町商工会
 平成九年度制定

越生の渋団扇

越生名物生絹(きぎぬ)団扇(うちわ)
誰が着るやらつかふやら

昭和八年(一九三三)、八高線開通を祝して発表された野口雨情(のぐちうじょう)作詞の『越生小唄(こうた)』にも詠われた渋団扇(しぶうちわ)は、越生の代表的な特産品だった。()に直交する肩竹(かただけ)をはめることによる特有の腰の強さを持ち、その形状から「一文字(いちもんじ)団扇」とも呼ばれていた。
明治九年(一八七六)の『武蔵国郡村誌(むさしこくぐんそんし)』には年産四十二万本、同四十四年の『埼玉新報(さいたましんぽう)』には二百四十万本内外とあり、全盛期には五十軒ほどが製造に携わっていた。
しかし、ガスコンロの普及により()(あお)ぎ団扇が不要となり、扇風機やエアコンが登場、さらには合成樹脂製の団扇も出回り、手作り団扇の需要は激減した。今では伝統を継承するのは「うちわ工房しまの」一軒となった。

平成二十七年三月

越生町教育委員会

地図

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