唱歌「案山子」発祥の地

しょうかかかしはっしょうのち

武蔵野線 東浦和駅の2.5km北に“見沼氷川公園”と“氷川女体神社”がある。 公園の中央付近に, 蓑と笠をつけたかかしの彫刻が建っていて, 副碑として 唱歌「案山子」の詩碑 もある。

「案山子」の歌は, 2年生用の文部省唱歌として 明治44年(1911) に発表された。 作曲は 山田源一郎, 作詞は 武笠三。碑文にあるように この地で生まれ育った 作詞者の武笠が, この周辺の「見沼たんぼ」に立つかかしを 歌ったもので, 彼が文部省で教科書の編纂に携わる間に作詞したものと言われる。

WEB で「案山子」の作詞者について調べると 「文部省唱歌」「作詞作曲不詳」 「詩/文部省」などと書かれていて, 作詞者の名前が書かれたものは ほとんど見当らない。 著作権意識の乏しかった時代のことで, 文部省にも作詞作曲者の記録が残っていないのだろうか。たしかに公僕に著作権無しという風潮は21世紀になっても残っており、たとえば「群馬県のマスコットぐんまちゃんは県庁職員が描いているので著作権はない」などと言い切る人は少なくない。

写真

  • 唱歌「案山子」発祥の地
  • 唱歌「案山子」発祥の地
  • 唱歌「案山子」発祥の地 歌碑
  • 唱歌「案山子」発祥の地
  • 唱歌「案山子」発祥の地 碑文
  • 唱歌「案山子」発祥の地 碑文
  • 唱歌「案山子」発祥の地 碑文
  • 案山子像 背面

碑文

唱歌「案山子」
発祥の地

宗一書

案山子

武笠三

山田の中の一本足の案山子
天気のよいのに蓑笠着けて
朝から晩までただ立ちどおし
歩けないのか山田の案山子

山田の中の一本足の案山子
弓矢で威して力んで居れど
山では烏がかあかと笑う
耳が無いのか山田の案山子

春彦書

この地が, 尋常小学唱歌「案山子」のふるさとである。国定教科書の編さん官であった武笠むかさ さんが, 他のいくつかの唱歌と共に作詞した。彼こそ, ここ三室に生まれた人である。
かって千二百㌶の沼であった見沼は 江戸中期に干拓され, 稲穂がたわわに稔る田園となった。作詞者の感性を育んだ光景である。
唱歌のふるさとを浦和市民の誇りとして永く伝えようと「つくる会」を結成し, 多くの市民のご協賛のもとに記念の碑を建立した。

唱歌「案山子」発祥の記念碑をつくる会

〈武笠 三〉
明治四年 当地にある氷川女体神社の神官を代々勤めていた武笠家の長男として 三室村(現浦和市宮本)に生れた。東京帝国大学卒業後 旧制四高, 埼玉県第一中学(現浦和高) 旧制七高で教鞭をとる。明治四十一年文部省によばれ, 十七年間にわたり国定教科書の編さんにたずさわ った。「案山子」は第二学年用として作詞された。昭和四年没。

〈記念碑〉造形家  島田 忠恵
〈揮毫〉国語学者 金田一春彦

浦和ゴールデンクラブ
浦和各地区ロータリークラブ
浦和各地区ライオンズクラブ
浦和YOUライオンズクラブ
㈳浦和青年会議所

〈創立20周年記念事業〉
浦和東ロータリークラブ
〈創立10周年記念事業〉
浦和童謡唱歌愛好会
〈創立5周年記念事業〉
浦和北東ロータリークラブ
氷川女体神社奉賛会

ほか有志一同

平成五年四月二十九日

地図

地図

さいたま市緑区大字見沼 付近 [ストリートビュー]