東北・上越新幹線 上野駅誘致 住民運動 発祥の地

とうほくじょうえつしんかんうえのえきゆうちじゅうみんうんどうはっしょうのち

上野駅の南 200m、「アメ横」の北入口。アメ横センタービルの前に, 積み上げられた商品に半分隠れるように 写真の碑が建っている。頭でっかちな人形のような 不思議な造型の碑(モニュメント)の周りは ぐるっと出店に取り囲まれていて, 碑の上にも 空き箱などが乱雑に置かれ, 店の一部になっている感がある。

昭和45年(1970) の“新幹線鉄道整備法”により, 東北新幹線・上越新幹線・成田新幹線の3線が計画され, 東北・上越新幹線の建設ルートは 東京駅始発で “北の玄関口”上野駅は通らないと発表された。このため 地元の 上野駅誘致運動が発足。昭和51年(1976) に総決起大会が開催されたのを皮切りに, 台東区と アメ横商店街などの地元商店会などによる 署名運動や陳情活動が展開され, 30万人近い署名が集まるなどの盛り上がりを見せた。その結果, 昭和52年(1977) に 新幹線上野駅設置が正式決定となった。

東北新幹線は, 昭和57年(1982) 6月に大宮~盛岡間が開業, 平成3年(1991) までに東京~盛岡の全路線が開業。上越新幹線は, 新宿駅が起点になる計画であったが, 東北新幹線と同じ路線による東京始発に暫定変更され, 昭和57年(1982) 11月に 大宮~新潟間開業。 平成3年(1991) に東京~新潟の全路線が開業した。また 成田新幹線は, その後建設計画が中止になり, 東京駅のホーム予定地は その後京葉線ホームと なった。

写真

  • 新幹線上野駅誘致住民運動発祥の地
  • 新幹線上野駅誘致住民運動発祥の地
  • 新幹線上野駅誘致住民運動発祥の地

碑文

東北・上越新幹線
上野駅誘致住民運動
発祥の地

東北・上越新幹線上野駅設置という国家的 大事業は,台東区民が昭和四十六年二月新幹 線誘致運動を開始して以来,台東区民の総力 を挙げたねばり強い行動の積重ねにより実現 しました。
時に,昭和四十六年十月「東京駅を起点と し,上野には駅を造らず,上野公園地下を通 過」という国鉄の新幹線計画発表は,地元台 東区に大きな失望を与えました。この挫折の 時期をのりこえ,昭和五十二年十二月台東区 案による新幹線上野駅設置決定に持ちこむま での上野駅誘致実現期成同盟・同住民運動本 部を始めとする関係地元団体の積極的な活動 に対しまして,心から敬意を表します。
ここに,新幹線上野駅開業による台東区の 発展を祈念し,長年誘致運動に尽力された方 々のご労苦を讃えるため,「上野駅誘致住民 運動発祥の地」と刻み顕彰します。

平成三年三月吉日

東京都台東区長
              内山栄一

地図

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