苫前町 水田 発祥の地

すいでんはっしょうのち

留萌るもい市街、幌糠留萌道路(深川留萌自動車道)留萌I.C.から北40km。国道232号オロロンラインを北上し, 国道239号との合流点の先にある 古丹別こたんべつ川を越えて すぐ右側に大きな石碑が建っている。

発祥碑の碑文は漢文で, 内容を正確に把握するのは容易ではないが, その内容から およそ次のような事情が読み取れる。

岩手県からこの地に入植した 藤田万助翁が 明治17年(1884) に初めて米の収穫に成功し, 道北地方でも米を作れることを証明し, 苫前地方の農業の先駆者として大きな功績を残した。

苫前とままえは 日本でも最大級の風力発電サイトである。水田発祥の地碑がある場所から 少し南に下ると, 40基を超える数の風車群が見られる。

北海道内の発祥の地碑として数多く水田発祥の地が数えられ、『北海道「水田発祥の地」記念碑という書籍が発行されるほどである。

記念碑に見る北海道農業の軌跡(北農会農業技術コンサルティングセンター著・北海道協同組合通信社刊)』によると,この碑は 藤田万助翁の没後13年祭に当たる明治40年(1907)に 古丹別に建立されたが,昭和43年(1968)に修復再建され,さらに 昭和59年(1984)に 現在地である上平の古丹別川が見える高台に移設された。

藤田万助は 盛岡の人で,36歳の時に漁役夫として北海道に渡り,各地を渡り歩いた後 苫前の地に落ち着き, 荒野を拓いて 麦・豆・野菜など栽培した。明治初年の苫前地区は水戸藩の分領であったため,藤田は 水戸藩から毎年玄米7斗の扶助を受けて農業に励んだ。

明治17年(1884)以来毎年水稲を試作し 失敗をくり返したが,明治23年(1890)にようやく収穫が得られ, この地方でも稲作が可能なことを示した。この当時はまだ札幌近辺でも稲作の試作が行われている段階であり,札幌よりはるかに北に位置する 苫前で稲作に成功したことは 北海道の稲作史上重要な出来事であった。

写真

  • 苫前町水田発祥之地
  • 苫前町水田発祥の地
  • 苫前町水田発祥之地 碑文
  • 苫前町水田発祥之地 背面

碑文

苫前町水田発祥の地

藤田萬助君
記念之碑銘

故藤田萬助君盛岡仙北町人父日貞蔵世業農君其第二子安政二
年歳三十四辭郷来北海道爲漁戸役夫有年流離輾轉備甞艱苦嘗
過苫前古丹別相其地適稼穡謂可成以吾志矣乃披荊蕀結■舎鑿
溝渠闢町畦播菽麦蔬菜居数年荘内藩置戌君爲建屯田策明治初
年水戸藩代戌君又助之有功藩賞以米七斗者三年欲開水田拮据
経営明治十七年始播稲而不登試之数年或熟或否至七種子二十
二年戸長恩田昌童嘉其篤志爲購給焉比歳大稔益拓田産業始成
自是移民年加多至五百餘戸苫前致冨庶君之力也二十八年十二
月二十日病歿歳七十四三十三年官追賞其功労賜銀杯桎表焉鳴
呼君可謂堅忍不抜能有成功者也今茲四十年以當十三年祭村人
相謀醵金建碑不朽其事徴余文余爲叙其梗概孫以銘曰
 投熊羆窟拓蓁莽揚原田毎毎禾稼穣塩嶽■薜丹流洸洋創業
 功代遺徳名芳

農学博士佐藤昌介題額■香新居■撰並書

水田発祥之地

地図

地図

苫前町字香川 付近 [ストリートビュー]