宇治田原茶 発祥の地

うじたわらちゃはっしょうのち

奈良線 山城多賀駅から西北西に11km。奈良盆地の北西にある鷲峰山の北麓。宇治田原町を東西に貫く 国道307号の南側の山中に、茶畑の中に下の写真に示す標識がポツンと建っている。

国道307号からの分岐には標柱が設置されている

鎌倉時代初期に 栄西禅師は宋から持ち帰った茶の実を高雄高山寺の僧・明恵みょうえ上人に送り、明恵はこれを栂尾の地に植えた。13世紀になると宇治田原の大福にも植えられ、また平等院や木幡に茶園が開かれ、宇治で本格的な茶の栽培が始まった。

江戸時代の元文3年(1738) に、宇治田原在住の茶農家・永谷宗円が緑茶の製法を創始したのが宇治茶の始まりとされ、時に「日本緑茶発祥の地」ともいわれる。

現在“お茶漬け海苔”で知られる「永谷園」の起源は、この永谷宗円に遡る。長く製茶業を営んでいたが、10代目当主が 1953(昭和28)年に株式会社として創業し、お茶漬けやふりかけなどで有名になった。

なお、近くにある復元された永谷宗円ながたにそうえん生家には、宇治田原が緑茶発祥の地の所以であるとの表示がされているようです。(参考 http://kyoto.graphic.co.jp/blog/archives/2456

写真

  • 宇治田原茶発祥の地

碑文

史跡 宇治田原茶発祥の地

 ここ大福谷おおふくだには,宇治田原茶の発祥の地です。
 文永八(1271)年,奥山田茶屋村ちゃやむら寄代坊きだいぼうであった光賢上人こうけんしょうにん高雄高山寺たかおこうざんじ明恵みょうえ上人しょうにんからお茶の樹をゆずり受け,大福谷に植えたのが宇治田原茶の起りです。

 この大福谷は,茶の栽培に最も適しています。

 ここの茶は「奇代坊の穂先茶ほさきちゃ」と呼ばれており,朝廷や鎌倉幕府に献上された由緒あるものです。

 大正四(1915)年,大正天皇の御即位の大礼の際には,この大福の茶を謹製し献上され,日本有数の優良茶として広く名前をとどろかしています。

 尚,北側の古い道は信楽街道しがらきかいどうの一部で,南北朝時代の古戦場でもありました。

 又,徳川家康の伊賀越えの道として有名です。

平成五年二月

宇治田原町商工会

地図

地図

宇治田原町湯屋谷 付近