稚内市 発祥之地

わっかないしはっしょうのち

北方領土を除く日本最北端の街、北海道稚内市の中心部から宗谷岬へ向けて国道238号線を約25km。樺太を望む宗谷岬からは約8kmの地点、稚内市宗谷村宗谷の国道から外れた漁協などもある集落内に木製と石製の碑が建つ。「稚内市宗谷村宗谷」という、碑が建つ住所そのものが稚内市の成り立ちを表している。

北海道に和人が住み始めたのは江戸時代以降。現在も「宗谷地方」と呼ばれる最北部のこの付近には、貞享2年(1685) に松前藩が藩主の直轄領地として宗谷場所を開設したのが始まりと言われている。

明治政府は明治2年(1869) に蝦夷地に開拓使を設置し、蝦夷地を「北海道」と改称した。開拓使宗谷出張所も置かれたが広大な北海道を管理するのは難しく、行政機関の改廃が続いた。

宗谷地方においても、明治12年(1879) には宗谷村に宗谷・枝幸・利尻・礼文4群を管轄する宗谷外三郡役所の設置が決まり、同時に宗谷外五村戸長役場を発足させた。これが稚内市の始まりとされている。

明治30年(1897) には宗谷外三郡役所を廃止し、北海道宗谷支庁(現在の北海道宗谷総合振興局)が設置される。その後、もともとは宗谷村の一部だった現在の市街地地区が稚内村として分村され、分村された稚内村のほうが発展を遂げて市となった後、昭和30年(1955)に発祥の地である宗谷村を合併し現在に至っている。


説明板が更新されたようだ。


なお、稚内の地名発祥地は別に表示がある

写真

  • 稚内市発祥之地
  • 稚内市発祥之地 背面
  • 稚内市発祥之地 説明板
  • 稚内市発祥之地

碑文

稚内市発祥之地

八十週年記念

昭和三十三年十月

稚内市発祥の地
The Origin of Wakkanai

江戸時代、1663(寛永10)年に最初の鎖国令さこくれいを出した幕府は、諸国の商人にアイヌとの直接交易を禁止し、蝦夷地えぞち(現在の北海道)に入れるのは松前藩だけとしました。ここ宗谷に、松前藩の直轄地ちょっかつちとして宗谷場所が開かれたのはこの頃と考えられています。
 18世紀後半になると、ロシアが交易を求めて蝦夷地にあらわれるようになります。その対策として、宗谷では津軽藩、会津藩が北方の警備にあたり、さらに幕府の命をうけた庵原いはら弥六やろく最上もがみ徳内とくない松田まつだ伝十郎でんじゅうろう間宮まみや林蔵りんぞうなどがこの地を訪れています。
 1879(明治12)年7月、明治に入ると宗谷村に戸長役場こちょうやくばが置かれます。この年を稚内のはじまりとしています。1890(明治33)年には宗谷村から稚内が分村されますが、戦後、1955(昭和30)年に宗谷村と稚内町は合併し、今日に至っています。 いまも宗谷には、宗谷護国寺跡、宗谷厳島神社、旧藩士の墓をはじめ貴重な文化財が残されています。

稚内市教育委員会


In 1633, during the Edo period (Kan'ei year 10), the first Sakoku Edict was issued. Under this edict, merchants were banned from direct commerce with the Ainu people, and the only port of entry into Ezo (the land now known as Hokkaido) was through the district of Matsumae. During this period, the Soya area was opened as a territory under the control of Matsumae.
By the late 18th century, Russia had appeard seeking trade within Ezo. As a countermeasure, the Soya area was secured by members of the Tsugaru and Aizu clans. Famous samurai such as Ihara Yaroku, Mogami Tokunai, Matsuda Denjuro, and Mamiya Rinzo also came north to Soya by decree of the shogunate.
In July of 1879, the 12th year of the Meiji era, a city office was placed in what was then known as the town of Soya. Thisis considered the beginning of Wakkanai. In 1890 (Meiji year 33), Wakkanai offivially split off from the Soya township, and in 1955 (Showa year 30) the two districts combined to become Wakkanai City as we know it today.
Even now in Soya, the remnants of the Soya Gokokuji Temple, Soya Itsukushima Shrine, and the graves sites of Soya's old samurai remain as important symbols of Wakkanai's history.

Wakkanai Board of Education

地図

地図

宗谷村字宗谷 付近 [ストリートビュー]