山陰鉄道 発祥之地
さんいんてつどうはっしょうのち
JR境線
当地は、山陰鉄道開業時の終点 境駅の場所とのこと。当駅が現在の境港駅の場所に移転して改名、現在に至る。山陰鉄道の開通は、1902年(明治35年)境港〜御来屋 間の約37km。新橋〜横浜開通から30年あまり後のことだった。
境港にお住まいの方、おでかけのかた、写真を撮って送ってくださると、ハンターがたいへん喜びます。
写真
碑文
山陰鐵道發祥之地 昭和三十七年開通六十週年記念日ニ之ヲ■ツ
米子鐵道管理局
原文ママ。ただし「■」部分は判読できず
境港市指定文化財
「
山陰鐵道 発祥之地 」碑 平成十四年七月一日指定
山陰地方に初めて鉄道が開通したのは、明治三十五年(一九〇二)十一月一日のことであった。「
境駅 」から「米子駅」を経て「御来屋駅 」まで、山陰地方に初めて汽車が走り、新しい鉄道交通の歴史が開かれた。この歴史を記念して、六十周年にあたる昭和三十七年(一九六二)十一月一日に
建立 されたのがこの碑である。この場所は、その当時「境駅」のあったところで、碑は建立した境港市から旧国鉄米子鉄道管理局(現在のJR)へ
寄贈 された。
- (付記)
- 「
境線 」の名称は明治四十二年から起こっている。- 「境駅」は、大正三年に海岸寄りの現在地へ移動し、大正八年には「境港駅」と改名して現在に至っている。
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