狛江 教育 発祥之地

こまえきょういくはっしょうのち

小田急電鉄 狛江こまえ駅北口広場の西側に、交番と並んで二つの石碑が建っている。一つは「狛江教育発祥之地」と刻まれ、もう一つは発祥の地碑の副碑ともいうべきもので「小学校のおもいで」と書かれている。

ここは昭和62年(1987) まで狛江第一小学校があった場所で、旧 狛江村の教育発祥の地とされている。その背景・歴史は副碑の碑文に詳しく書かれている。

これとは別に、駅前ロータリーの中の植込みの中には「狛江第一小学校跡地」という記念碑が建っている。現在の狛江第一小学校はこの地から約500m北、和泉本町1丁目にある。

写真

  • 狛江教育発祥之地
  • 狛江教育発祥之地(2016)
  • 狛江教育発祥之地 背面(2016)
  • 狛江第一小学校跡地(2016)
  • 狛江教育発祥之地
  • 狛江教育発祥之地
  • 狛江第一小学校跡地
  • 狛江駅

碑文

狛江教育発祥之地

  観聚学舎は
  理想を求めて
  切磋琢磨し
  人としての礎を
  培う場なり
  是, 先人の
  尊き志なれば
  連綿として
  後世に
  継承するものなり

平成十六年六月吉日
狛江一小第三十六代校長 宮澤義一撰
翠王 加納順子書

施工 株式會社 植光
鈴木一光

  小学校のおもいで

かつて、この地に小学校があった。
私たちの小学校は、明治五年の学制発布により、泉龍寺の衆寮堂を仮校舎に観聚学舎として創立された。その後、和泉学校と改称、明治14年にこの地を校地とした。
明治二十二年、和泉、緒方、駒井、岩戸、覚東、小足立の六ヶ村が合併して狛江村が誕生し、狛江村立尋常狛江小学校となった。三十年には高等科ができ、狛江尋常高等小学校となり、村の発展とともに敷地を広げ、桜の木が植えられた。
昭和十六年、小学校は狛江国民学校となる。二十年五月二十五日夜半の空襲により校舎は全焼し、桜の大木七本も焼失した。
戦後の昭和二十二年、新しい学制が施行され、狛江小学校となり、昭和二十五年狛江第二小学校の開校に伴い、狛江第一小学校と校名を改めた。
昭和六十二年、狛江駅北口再開発事業のため、この地にあった小学校は現在地に移転した。
観聚学舎から百三十年、ここで学んだ多くの子どもたちの胸に、いろいろな思い出をきざんだのである。
そのことをいつまでも大切に残しておこうとの思いから、この小学校を卒業した人たちが相談して、思い出の中にある桜の木を植え、記念碑を建てた。

平成十六年六月吉日

狛江小学校のおもいでを残す会

【リンク】狛江第一小学校泉龍寺

地図

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狛江市元和泉1丁目 付近 [ストリートビュー]