大阪 木材 市売市場 発祥の地

おおさかもくざいいちうりいちばはっしょうのち

大阪地下鉄 千日前線・長堀鶴見緑地線 西長堀駅の東。白髪橋交差点の中央分離帯の緑地の大きな榎の木の下に,石碑と説明板が建てられている。

木材の流通形態は 基本形に「市売」と「付売」の二つに分類される。「市売」は, 木材の販売を委託された市売業者が 市場で“せり”によって販売する方式。「付売」は, 相対取引により山元から需要者まで直送する方式で, 市売市場は大阪において初めて行われたと言われる。

写真

  • 大阪木材市売市場発祥の地
  • 大阪木材市売市場発祥の地 側面
  • 大阪木材市売市場発祥の地  側背面
  • 大阪木材市売市場発祥の地  説明

碑文

大阪木材市売市場発祥の地

元和末年の頃からしょこくの材木が大量に大阪に集まるようになった。
これを迅速に売捌くため、材木産地の土佐藩から幕府に願い出て、寛永初年(一六二五~六)開削された立売堀川や西長堀川に材木の市場を開く許可を得た
これが木材市売市場のおこりである。

昭和五十四年十月吉日
西区制百周年記念
大阪市西区役所建立

大阪おおさか木材もくざい市売いちうり市場いちば発祥の地はっしょう ち

元和末年(1622)の頃土佐藩の申請によって材木市が立売堀川で始まり, やがて土佐藩が蔵屋敷を白髪町にかまえると西長堀川でも材木市が許可される事になった。土佐ばかりでなく, 日向, 紀州, 阿波, 尾張など全国各地の材木が集まりしだいに川の両岸には全国各地の材木を扱う店が軒を並べるようになり, 西長堀橋南詰から富田屋橋, 問屋橋, 白髪橋にかけての浜側は, 江戸時代から昭和にいたるまで, 年中材木市が開かれてた。
戦後, 長堀川は水質の汚染が進み舟運の利用も減少したため昭和36年から同37年にかけて東横堀川から四ツ橋間が埋め立てられ, また昭和四十二年から同四十六年にかけて四ツ橋から 木津川間の西長堀川も埋め立てられた。今でも北堀江の東側には, 材木商の看板があちこちに残っている。

地図

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西区新町3丁目 付近 [ストリートビュー]