連歌 発祥の地(酒折宮)

れんがはっしょうのち

中央本線 酒折駅から西に350m、踏切のすぐ北側にある酒折宮(甲府市酒折3丁目1)の境内数カ所に表示がある。

ひとつは拝殿前。拝殿前におかれた説明は、かつては連歌の碑の近くに設置されていたものだが、人に立ち入ってほしくないのか、往復がちょっとたいへんすぎるのか、酒折宮の参拝者を増やしたいのか、連歌の碑は事実上放置されている。

一つは鳥居の脇。連歌の碑は不老園の上にあるにはあるのだが、新たに現代文字づかいで刻んだ碑が酒折宮の鳥居近くに平成21年(2009) に建てられている。拝殿前の説明はその時に当地に移されたものだろう。

もう一つは、酒折宮の上、不老園駐車場の近くにある。恐らく新「連歌の碑」建立の時に整備されたものなのではないかとも思うが、坂を上って旧「連歌の碑」に至るわけなので、実際はどうかよくわからない。

写真

  • 日本武尊連歌発祥之地 (中央線踏切脇)
  • 北山野道案内
  • 連歌の碑 (酒折宮)
  • 連歌の碑 背面 (酒折宮)
  • 連歌の碑 (酒折宮)
  • 連歌発祥の地 (拝殿前)
  • 連歌発祥の地 (拝殿前)
  • 酒折宮 拝殿
  • 日本武尊連歌発祥之地 (酒折宮北)

碑文

連歌発祥の地

 景行天皇の皇子日本武尊は, 蝦夷征服の帰 途, 「日本書紀」によれば, 常陸を経て甲斐国に入り, 此処ここ酒折の宮にしばらく居られた。
 着宮の夜, 皇子が歌をもって
    新治にいばり 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
と問われたのに対し, 秉燭人かともしびと
    かがなべて 夜には九夜ここのよ 日には十日
と唱和した故事は有名である。
 後世, 連歌を「筑波の道」と呼ぶのもこれによるもので, 歌体は片歌かたうたながら, 連歌の濫觴らんしょう(はじめ)とされており, 当地を訪れた文人墨客が多かった。

昭和六十一年七月  小野成三 奉納

日本武尊連歌発祥之地

酒折宮

新治にいばり
 筑波つくばぎて
  幾夜いくよつる

かがなべて
 には九夜ここのよ
  には十日とをか

社殿裏山の中腹にある元宮は万葉仮名にて連歌を刻字した自然石の碑があるが、諸事情を考慮して、この境内に現代文字で建立したものである

平成二十一年十一月吉日 建立

宮司 飯田直樹
連歌の碑
建立委員会
会長 間瀬勇造氏子 崇敬者一堂

地図

地図

甲府市酒折3丁目 付近 [ストリートビュー]