早春賦 発祥の地

そうしゅんふはっしょうのち

大糸線 北大町駅の北西にある大町市文化会館 前庭に、碑が建つ。上部に載る石碑には唱歌「早春賦(そうしゅんふ)」」」の歌詞が刻まれ、下部には作詞者である吉丸(よしまる)一昌(かずまさ)の肖像入プレートが埋め込まれている。

早春賦は大正2年(1913)に発表された。作曲は中田章。歌詞は大町や安曇野あたりの情景が詠み込まれているとされる。

昭和54年(1979)に日放協「みんなのうた」で放送された。安曇野の風景の映像が使われ、痛説として広まっていた「安曇野発祥説」を強力に推し進めることとなった。昭和59年(1984)に穂高町(現 安曇野市)に早春賦の碑が建設され、多くの観光客が訪れている。大町発祥であるらしき資料はなんとなく存在するものの、安曇野発祥であるという資料はとくになく、ただ「関連団体」が鼻息を荒げて地域一体の財産であるというような精神論らしき何かで、一歩出遅れた大町発祥説に発祥の地争いをけしかけているような印象を受ける。(意見には個人差があります)

ちなみに安曇野市の碑には「発祥の地」との記述は無いようなので当コレクションには収録されない。また、事の真贋は当コレクションは関知しない。

写真

  • 早春賦発祥の地
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碑文

日本の心の詩

早春賦
発祥の地

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