東郷 元帥 祖先 発祥之地

とうごうげんすいそせんはっしょうのち

小田急・相鉄 海老名駅から 南東に2.5km。城山公園のほぼ中央部,「物見塚」の上に 大きな石碑が建っている。

城山公園のある場所は, 平安時代末期に 渋谷氏が築城したのが始まりとされる。渋谷一族は やがて九州に所領を得て多くはそちらに移り住み, 相模の渋谷氏は衰退していったが, 戦国時代に渋谷氏の末流と思われる石川重久がここにあって, 徳川家康が関東を知行したときに早川城址に陣屋を構えた。

公園は 早川城跡で, 中心部の 芝生広場の片隅に“物見台”と呼ばれる小山が残り, そこに「東郷氏」の発祥の地を示す 城跡碑が建てられている。東郷氏は日露戦争でバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎の一族で, 渋谷一族の子孫といわれる。

写真

  • 相鉄海老名駅
  • 物見塚と東郷氏祖先発祥地碑 説明
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  • 東郷氏祖先発跡地
  • 東郷氏祖先発跡地 碑陰
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  • 東郷元帥祖先発祥地
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  • 東郷元帥祖先発祥地

碑文

早川城址

東郷元帥祖先發祥之地

縣下名勝史蹟四十五佳選當選記念横濱貿易新報社

東郷氏祖先発跡地碑

元帥伯爵東郷平八郎書之

相模高座の郡早川郷は往古渋谷庄司重國の領地にして其子光重孫重直實重の住地なり光重承久の乱に戰功あり薩摩國薩摩郡の數郷に封せられたり光重は長男重直と共に早川に在城し次男早川次郎實重三男吉岡三郎重保四男大谷四郎重茂五男曹同五郎坊定心六男落合六郎重貞は寶治二年の春薩州の封地に下向せり而して實重は川内川の上域東郷の地を領し姓を東郷と攺む元亀元年東郷の一族島津氏に歸服するに至る迄三百十有餘年間其子孫東郷地方に割拠し澁谷黨と称し雄を北薩に振へり爾來東郷の姓を冒す者概ね其後裔なり昭和六年有志相謀り東郷氏の祖先發跡の𦾔地を卜し早川の城山物見塚に碑を建て以て後昆に傳ふと云爾

昭和六年 月

海軍中将正四位勳一刀功四級東郷吉太郎撰並書

河原口一口工 前場直治

物見塚ものみづか東郷氏とうごうし祖先そせん発祥地はっしょうち

早川城本郭の西側に位置するこの塚は, 物見塚と呼ばれて います。南北21m, 東西23m, 高さ約2mの塚です。発掘調査の結果, 表土直下に宝永ほうえい火山灰かざんばい(一七〇七年, 富士山の噴火による火山灰)が見られることから江戸時代初期以前に築 かれていることは明らかです。また, 塚の作り方が土塁と同様の版築はんちく(黒土と赤土を交互に敷きつめて突き固めたもの)であることから, 城郭の関連遺構のひとつであり, 外敵の侵入を見張るため築かれた塚であると思われます。
物見塚の上には, 昭和七年に祖先発祥地東郷会とうごうかいにより建てられた「東郷氏祖先発祥地碑」があります。この碑は日露戦争で有名な旧海軍元帥げんすいである東郷とうごう平八郎へいはちろうの先祖の地であることを記念して建てられたものです。東郷家は, 早川城主であったと伝えられる渋谷氏の末裔まつえいの一つでした。

綾瀬市

地図

地図

早川城山3丁目 付近