銭谷盆唄 発祥之地

ぜにやぼんうたはっしょうのち

常磐線 水戸駅から南東に1.5km。市立浜田小学校 と 国道51号に面したジャスコ イオンモール水戸内原店のほぼ中間 近くに,銭谷稲生神社がある。神社の狭い境内には 鋳銭場跡・銭塚・銭谷銭座之址 など いくつかの碑が建っていて, その中に「銭谷盆唄発祥之地」の碑がある。

銭谷盆唄については,関係資料が見当たらなかったため,残念ながら その由来や歴史などは不明である。

ここ 銭谷稲生神社は,江戸時代に銭貨が鋳造された場所。室町時代から江戸時代の初めまで,日本では 中国で鋳造された貨幣“永楽銭”が流通していたが, 江戸時代になって 永楽銭の輸入が急減したため,当地の町人・佐藤新助が “新銭”をこの地で鋳造した。

その後 江戸幕府は 江戸と近江の“銭座”で“寛永通宝”の鋳造をはじめたが, 水戸・長州・松本など いくつかの藩でも幕府の許可を得て鋳造した。水戸藩で造られたものは“水戸銭”と呼ばれる。

写真

  • 銭谷盆唄発祥之地 背面
  • 銭谷盆唄発祥之地 台座 背面
  • 銭谷盆唄発祥之地

碑文

銭谷盆唄発祥之地

茨城県民謡民舞連合会会長 川崎孫兵衛書

銭谷盆唄

〽ハーアイヨウ
 銭谷ェ田圃からェ蛇が出たとても
  銭谷エ通いはェ やめられぬ
  (ハア アリヤ アリヤ アリヤサ)

発起人名
民謡つくね会顧問 県議会議員
久保田今朝武
顧問 市議会議員
吉岡 長吉
濱田木材株式会社社長
庄司 義雄
会長 県民謡民舞連合会長
川崎孫兵衛
支部長 笠間市福原(磯石材工業)
磯 進生

(石碑寄贈者)

昭和五十年十月十九日 民謡つくね会 有志一同 建之

地図

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水戸市浜田1丁目 付近 [ストリートビュー]