海女発祥の地 鐘崎
あまはっしょうのちかねざき
福岡県 織幡神社(宗像市鐘崎)境内にはいろいろな石像等が並べられているが、その中に、筑前鐘崎海女の像と題された石像がある。海女の装束を纏った女性像であり、その足元には海女発祥の地を示す石板が設置されている。
鐘崎は、魏志倭人伝でも伝わる頃からとくに漁が上手だったということだが、漁場が狭く、次第に出稼ぎに出るようになり、五島列島・対馬・壱岐・朝鮮半島から、輪島・舳倉島までの日本海の広範に広がったといわれている。そして各地で漁を教え、住みついていき、江戸時代には300人ほどいた海女も、大正には200人、戦前で100人あまり、戦後は30人足らずと衰退してしまった。
しかしこのことから、日本海の海女の発祥の地と呼ばれた。
宗像市民俗資料館には詳しい資料がそろっていた(予備.zip)ということだが、平成22年(2010) に閉館した。
志賀島には、いくつかの万葉碑が建てられており、鐘崎周辺の海女について詠い込まれている。
【リンク】福岡県神社巡り 福岡神社参拝帳、
地図は、碑の場所ではなく神社を指し示しています。
写真
碑文
海女発祥の地 鐘崎
ここ鐘崎は、古来風光明媚、海路の要衝として万葉の古歌に詠われ沈鐘の伝説で名高い。
先祖は鐘崎海人と呼ばれ、進取の気性に富み、航海術に秀で各方面で大活躍をした。特に潜水の技術に優れた鐘崎海女は「西日本の海女発祥の地」として有名である。
海女の出稼ぎ地であった能登・長門・壱岐・対馬には、枝村(分村)ができた。海女の使用した道具は、県の文化財に指定され保存されている。
ここに石像を建立し功績をたたえ、航海の安全と豊漁を祈る。
平成七年四月吉日
筑前鐘崎海女保存会