「春一番」発祥の地
はるいちばんはっしょうのち
壱岐島の壇ノ浦の港近くに、大きな春一番のモニュメントがあるが、そこではなく岸壁付近に小さな慰霊塔がある。岸壁には大きく表示があり、解説も付けられている。
壱岐 郷ノ浦港フェリーターミナル近くの防波堤には「春一番」の説明板と絵、ドデカい「春一番」発祥の地があります(・ω・)ノ#壱岐 #郷ノ浦港 #春一番 #スマホ撮り #3月14日 pic.twitter.com/d9fFPYixyz
— ケンボイ〈月眼鏡〉 (@Kenboy00Q) March 14, 2020
「春一番」発祥の地の説明板。 pic.twitter.com/vVy51Cpa7J
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写真
碑文
「春一番」発祥の地
春一番
壱岐島が浮かぶ玄界灘は、航海の難所として知られている。
安政六年(一八五九)の旧暦2月13日は快晴で、鯛の好漁場といわれている五島沖の喜三郎曽根 に元居浦 のほとんどの漁船が出漁した。延縄 を張り始めた時、南の水平線に突然黒雲が湧き昇り、間もなく強烈な南風が海上を吹き荒れ、船は転覆し、五十三名の漁民たちはなすすべもなく、船もろとも海中に消えていったのである。
漁民たちは、春先に吹く南方からの暴風を「春一番」「春一」「カラシバナオトシ」と呼んで以前から恐れていた。この悲しい事故後、元居浦では「五十三霊 淂脱之搭 (五十三霊 慰霊碑 )」を建立し、毎年、その日は、どんなに風が凪 だろうと、沖止めをして、地域をあげて、海難者の冥福 を祈念 する行事を行っている。元居の漁民は気象を敬い、学んで、観天望気 にたけ、遭難なき安全出漁に徹している。
「春一番」の用語は、壱岐の郷土史家の目良 亀久 によって壱岐の漁村で使われていた言葉として収集されていた。壱岐の調査に訪れた民俗学者の宮本常一 の目にとまり、俳句の季語として紹介され、以後マスコミでも使われ、気象用語として定着している。
現在では、歌謡曲の題名にも使われるようになり、事故の犠牲者の御霊 を慰 め、漁民の安全を祈願する希望の言葉になっている。元居公民館
壱岐市教育委員会