永坂更科 発祥之地
ながさかさらしのはっしょうのち
都営地下鉄 大江戸線 麻布十番駅 の北 200m。参議院副議長公邸の隣に “永坂更科布屋太兵衛”の建物があり, その隣の本社ビル玄関横に 淡青色の石に赤い碑文が刻まれた碑が建っている。
そば店は 大きく分けて「藪そば」「更科」「砂場」という3つの系列があると言われるが, 各地方には いろいろなそば店があるので, 正確には“東京には3つの系列がある”と言うべきだろう。「更科」は 更に3系列の店があって,「総本家更科堀井」「総本家永坂更科布屋太兵衛」 「麻布永坂更科本店」を名乗っている。
写真
碑文
永坂更科發祥之地
昭和五十四年十一月吉日
永坂更科布屋太兵衛 建之布屋太兵衛を商号とする祖先布商 清助は, 元禄年間江戸に郷里保科 御大名の御好意で麻布十番近くの 保科兵部少輔邸内の御長屋を借用 晒布を行商, 寛政元年八代目清右 衛門は主君の薦めで麺舗に転業, 代々布屋太兵衛を襲名す。郷里の 地名の「更」と, 保科家の「科」 の一字を賜り「信州更科蕎麦処」 永坂更科布屋太兵衛と名付け大方 様の評判を頂く。
保科家, 増上寺に報恩奉仕しその 推挙で将軍の御用を承る。増上寺 修行僧の諸国遍歴は江戸噺として 全国中に声価伝達。当地麻布永坂 の三田稲荷の御加護を頂きここを 根拠とし家歴百九十年を印す。小林勇 記
麻布十番 小林石材 刻