日本最古の 石油 発祥の地
にっぽんさいこのせきゆはっしょうのち
羽越本線 中条駅から北東に6km。胎内市役所黒川支所の近くに黒川地区公民館がある。国道7号 中条黒川バイパス脇の公民館に入る角に,「日本最古の石油発祥の地」と書かれた看板が建っている。(シンクルトン記念公園への案内看板)
ここは日本最古の石油採掘地。日本書紀に“天智天皇の7年(668) 越国,燃ゆる土,燃ゆる水を献ず”の記述があり,その“燃ゆる水”が採れたのがここだ考えられている。越国=新潟県にたくさんある油田(跡)の中で,ここは一番古くから燃える水=
シンクルトンは,明治初年に来日した英国人医師で,それまでの水平掘り(湧いてくる石油をすくうだけ)に代わる近代的な櫓式の垂直掘り技術を導入。これによって大量の採油が可能になり,明治24年(1891) からは機械掘りとなり,鉱油会社が設立されて本格的に開発が進められた。しかし昭和30年(1955) ごろから海外の原油に押されて衰退していき,現在は企業ベースによる採油は行われておらず,ごく一部地区(塩谷地区)で副業的に採油が実施されているのみである。
平成8年(1996),油田跡地が公園化され(シンクルトン記念公園),記念館を設置して 当時の採油技術などを展示している。
- 臭水坪(くそうずつぼ)
- 地表近くの含油層から原油が湧き出て凹地にたまり,これをカグマ(シダの一種)ですくい採り,灯火に用いた。この原油は臭いことから“臭水(くそうず)”といい,たまっている凹地は“坪”と呼ばれる。
- 異人井戸
- 明治6年,英人医師シンクルトンの指導で,木の枠を組みながら竪穴井戸が掘られた。これを“異人井戸”と呼ぶ。それ以来,山一帯に井戸が掘られ,盛況を呈した。
採掘櫓 石油掘削櫓を模したシンボルタワー
黒川の“臭水坪群”は,考古学的な価値が認められ,国の史蹟に指定されている。また,黒川地区では 昭和58年(1983) から毎年“黒川燃水祭”が開催され,石油業界関係者・地域住民・市内の小学校など 100名以上が参加して「採油の儀」「点火の儀」「清砂の儀」など 一連の伝統儀式を実施している。
写真
碑文
日本最古の石油発祥の地
この地は大和時代,第三十八代天智天皇の七年(668年)「越の国,燃土,燃水を献る」と日本書紀にあるのは,わが黒川村と言われ,そのむかし,黒い川の流れるほどに臭水(原油)が湧出していたことから「黒川」の地名がついたと伝えられており,「カグマ」(シダの一種)による採油はここ黒川独特のもので昔から近年まで続けられてきたが,明治に入ると英国人医師シンクルトンの指導によって内壁が崩れないように木の枠を組ながら掘る手掘り井戸により原油をくみ上げる方法がとられ,明治二十四年になって機械掘りとなり,昭和十五年本格的な開発をなしたが,昭和三十年代に入り,外国からの石油輸入が増加するとともに,一〇〇〇年も続いた油田はその影をひそめていった。