石油産業 発祥地
せきゆさんぎょうはっしょうち
越後線 出雲崎駅から西北西に4km。国道352号 北陸道沿いの道の駅“越後出雲崎「天領の里」”の国道を挟んで向い側に 小公園がある。公園の名称は「石油産業発祥地記念公園」。園内にはいくつかの石油掘削・精製の設備がモニュメントとして残され,記念碑などがある。
幕末の開国に伴い石油ランプがもたらされ,石油の需要が急増した。古くから石油が自然に湧出していたここ尼瀬の地では石油開発が盛んになり,明治20年代の最盛期には手掘りの油井が150本にも達した。
明治21年(1888),当時県会議員を務めていた内藤久寛は“日本石油会社”を設立,アメリカ製の“綱式削井機”を導入。翌年には 1日あたり7kLを超える量の石油をくみ出すことができた。これがわが国最初の機械掘りによる石油掘削であった。
現在,その跡に「わが石油業こゝに起る」および「機械開坑第一号井之遺跡」という記念碑が建立されている。
その後,付近の海面を埋め立てて人工島が造られ,海底油田として操業する油田(世界初)も出現するなど,日本の代表的な油田の一つとなった。しかし太平洋戦争前後から採掘量が激減し,1980年代に採掘は終了した。その後,跡地に公園が整備され,石油記念館も設置された。
この公園は 石油掘削井があった場所であるため 現在でも天然ガスが自然噴出していて,公園内には“火気厳禁”の警告看板が出ている。
写真
碑文
石油産業発祥地記念公園(県文化財指定)
(尼瀬油田機械掘第1号井跡)
古代から,ここ尼瀬は海面に石油が浮遊していた。明治の初期ランプが輸入され石油の利用が知られて,この地域一帯に手掘りによる採油が盛んとなった。明治24年(1891年)に機械による深層掘削を行ったところ噴油を伴う大成功をおさめた。これより石油の量産が可能となり,今日の日本の石油産業発展の端緒を開いた。この井跡地を公園とした。米国の発祥地,ドレーク井記念公園と姉妹公園となっている。
わが石油業こゝに起る
撰文 橋本圭三郎
新潟縣は古くから 石油の産地として名高く遠くは天智の御代燃ゆる水を献上したと日本書紀にも記され住民またこれを くそうず と呼び灯火や医薬の用に供した
北越雪譜によればこの地尼瀬の海面にも石油が浮びこれを臭生水の澗といって越後七不思議の一つに数えられたと伝えている
明治七八年のころ手掘法により石油の採取を試みるものこの地に集まり盛況を極めたこともあったが同二十三年日本石油會社による綱式機械さく井法は従来の手掘法の企及しえない深度のさく井に成功して天下の耳目を驚かせた これこそ日本における科学的油井掘さくの端緒で現代石油業この時に始まるといえよう こゝに全国石油関係者相はかり碑を建て,これを記念する昭和二十九年五月
勝田加一書
武石弘三郎刻
機械開坑
第一號井之遺蹟
成功嚆矢
火気厳禁
公園内は石油採掘跡地のため,天然ガスが発生しており火災の危険がありますので,火気の使用及び喫煙を禁止いたします。ご協力をお願いします。
新潟県出雲崎町