福岡 一文字 造剣之地

ふくおかいちもんじぞうけんのち

赤穂線の長船駅から北西に1km。日蓮宗 妙興寺(瀬戸内市長船町福岡684)の100m北西に,自然石に刻まれた碑が建っている。 この地 長船町は, 平安時代から刀剣の産地として全国に知られており, “福岡一文字派”“長船派”などの流派が生れ,多くの名工を輩出した。

鎌倉時代に 則宗・助宗親子が名刀を造り,後鳥羽上皇の信任を得て 備前刀の名を高め, 「福岡一文字派」の祖といわれた。

写真

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碑文

福岡一文字造剣之地

薫山本間順治書   昭和四十五年十一月吉日

旧姓 大塚  矢野初子 建之

福岡一文字派ふくおかいちもんじは

 福岡一文字派は,鎌倉時代初期の則宗を始祖とし, 鎌倉中期にかけて多くの名工を輩出して黄金時代を迎えました。 中でも則宗や宗吉らは,後鳥羽上皇の御番鍛冶として召し出されています。
 一文字の呼称の由来は,銘に「一」の字を刻す者が多いからで, 「一」は天下一ということを表わしていると解されています。
 福岡一文字派は,「一」の銘だけ切るもの,「一」の下に個銘を切るもの, そして個銘だけのものに大別されます。
 刀工たちの居住地のこの福岡庄(現在の長船町福岡地区と岡山市の東部の旧上道地区)は, 平安時代の末期から鎌倉時代の正中元年(1324)東寺の荘園となるまでは, 皇室の重要な荘園でした。
 「東寺百合文書」に残されている古文書により,当時,福岡一文字派の刀工たちは, 福岡庄の吉井周辺に居住し,皇室の庇護を受け広い給田を所有, 安定した生活の中で鍛刀していたことがうかがえます。
 この時代,備前刀は古備前派から長船派,国宗派,そしてこの福岡一文字派が相競うように排出し, 刀剣の質・量ともに黄金時代を迎えています。特に福岡一文字派の作風は,のちの日本刀の原形であり, 古雅の上に優美さを加え一世を風靡しました。
 福岡一文字派の刀剣には,則宗,吉家,吉房,助真,助平,助綱等を始め, 「一」,そして無銘のものまで,御物,国宝,重要美術刀剣, 重要刀剣となっているものが多い。
 福岡一文字派は,元寇という未曽有の出来事に遭遇してからの世情の大きな変動の中で, 備前伝の特徴が他の地へも伝わり大きな影響を与えました。
 そして現在まで,備前刀が日本刀の主流をなしてきています。

平成十六年十月

備前福岡史跡保存会

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瀬戸内市長船町福岡 付近 [ストリートビュー]