新潟県 酪農 発祥之地 安田町

にいがたけんらくのうはっしょうのち

磐越西線 馬下駅から北西に3.5km。国道49号(若松街道)の“久保北”交差点近くにある道路脇の緑地帯に、数頭の乳牛の像が建っていて、その脇に「新潟県酪農発祥の地」と書かれた石碑が建っている。

ここ安田町(現、阿賀野市)は、東に五頭連峰、南に阿賀野川と接する町で、“安田だし”と呼ばれる強風が吹くため稲作には適さず、そのため酪農が盛んになったと言われる。

安田出身の旗野美乃里は、東京専門学校(後の早稲田大学)に学び、1907(明治40)年23歳で欧米視察した際に乳牛を3頭持ち帰り、この地に“ツベタ牧場”を開き、牛の他に馬・豚・鶏などの飼育も行い、乳製品の製造も行った。これが新潟県における酪農の始まりである。

ツベタ牧場の経営は当時の日本の社会環境合わなかったせいか失敗に終わったが、わずかに残された乳牛とその飼育技術をもとに“六野瀬畜牛販売利用組合”が発足しこれに継承された。昭和に入って明治乳業と提携して発展し、安田地区の酪農は拡大し現在の“安田牛乳”“ヤスタヨーグルト”につながっている。

写真

  • 新潟県酪農発祥の地
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碑文

新潟県酪農
発祥之地

安田町

昭和六十年十一月吉日
下越酪農農業協同組合

地図

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阿賀野市久保 付近 [ストリートビュー]