日本国 新聞 発祥之地

しんぶんはっしょうのち

横浜 中華街の一角、関帝廟のすぐ近くにひっそりと碑が建っている。碑文にもあるように、この地はジョセフ彦が「海外新聞」を発刊した場所とされる。

ジョセフ彦は、天保8年(1837)兵庫県播磨町に“彦太郎”として生まれた。嘉永3年(1850)、江戸から船で故郷に帰る途中暴風雨に遭遇し、50日余り太平洋を漂流した後、アメリカの商船に救われ、アメリカに渡った。税関長サンダースに可愛がられた彦は、アメリカで教育を受けカトリックの洗礼を受けた。この時「ジョセフ」のクリスチャンネームを受け、ジョセフ彦と名乗るようになり、アメリカの国籍を得た。

安政6年(1859)アメリカ領事館の通訳として、ハリスとともに開国直後の日本に着任した。一旦アメリカに帰国後、元治元年(1864)再来日し、わが国最初の新聞を発刊した。「海外新聞」は月刊で、半紙4~5枚を仮綴したもので、最初は手書き、後に活版印刷を用い、2年間で26号まで発行したといわれる。

その後、明治30年(1897)に60歳で没するまで、新生日本の発展に尽くした。現在も東京・青山に“浄世夫彦の墓”が残されている。

写真

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  • 日本国新聞発祥之地 (2019)
  • 日本国新聞発祥之地 背面 (2019)

碑文

日本国新聞発祥之地

日本における新聞誕生の地

ここ、横浜の元居留地一四一番は、一八六四(元治元)年六月二十八日、ジョセフ彦が、「海外新聞」を発刊した居館の跡である。

彦は、リンカーン大統領と握手した唯一の日本人であった。リンカーンの民主政治が勃興期の米国の新聞の力に負うところ大なるを体得し、開国したばかりの祖国のため、日本最初の新聞を創刊し、「童子にも読める」新聞精神を提唱した。読みやすく、判りやすい新聞を、創世記の日本の新聞界に植えつけた新聞の父・彦の功は大きい。

さらに木戸孝允、伊藤博文、坂本龍馬など多くの人びとに民主政治を伝えた彦は、民主主義の先駆者として、およそ新聞を読むほどの人々の心の奥に残る文化の恩人であった。

一九九四(平成六)年六月二十八日
「海外新聞」発刊130年記念日に


ジョセフ彦記念会

AT THIS SITE

FORMERLY NO. 141 FOREIGN SETTLEMENT, YOKOHAMA
JOSEPH HECO ISSUED ON JUNE 28, 1864
THE KAIGAI SHIMBUN [THE OVERSEAS NEWS]
THE FIRST NEWSPAPER PUBLISHED IN JAPAN

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