「五十音図」は、山代温泉で生まれた

ごじゅうおんずはやましろおんせんでうまれた

画像求
撮影:
どなたか見てきてください!

北陸新幹線・IRいしかわ鉄道(旧 北陸本線)加賀温泉駅から南に5km、薬王院温泉寺(加賀市山代温泉4区18−40甲)入口近くに、本を開いたようなオブジェを戴いた碑が設置された。

写真


碑文

五十音図について

日本語を学ぼうとした時、最初に覚えなければならないものに「五十音図」があります。この「五十音図」は、じつは、皆さんが今いる、この山代温泉で作られたものなのです。
それでは、五十音図は、誰によって、いつ頃、何のために作られたものなのでしょうか? 作ったのは明覚というお坊さんです。作られたのは一〇九三年です。
「五十音図」は、人が正確に日本語の発音ができるようになるため、そして正確にお経に書かれた文章を発音して読めるようになるために作られました。
日本語には「母音」として「アイウエオ」があります。そして、喉の付け根(軟口蓋)、歯、舌、唇など口の中で調音する「子音」と母音を合わせて発音すると、「カ行、 サ行、夕行、ナ行、マ行、ラ行、ワ行」の言葉がきれいに出ます。
お経は、当時、人の願いを叶えてくれる魔法の言葉でもありました。魔法は正確な言葉で発音しなければなりません。もちろん、人と話をする時も同じです。「五十音図」は、山代温泉で生まれた日本語の魔方陣まほうじんなのです。
ここに複製を行ったのは、現在、大東急記念文庫に所蔵される「反音作法はんおんさほう」に見える明覚の五十音図です。

明覚上人みょうがくしょうにん(一〇五六~一一〇六)

一○五六年に生まれた明覚は、天台宗の総本山である比叡山で修行をしたお坊さんです。インドの言葉であるサンスクリット語を学び、漢文はもちろん、中国語や日本語も堪能だった明覚は、三十六歳頃までには山代の加賀温泉寺に来ていたと言われています。『悉曇大底しったんたいてい」(一〇八四年)、「梵字形音義ぼんじぎょうおんぎ」(一○九四年)、「悉曇要訣しったんようけつ」(一一○一年以降)など梵字と呼ばれるサンスクリット語学の研究を行い、「五十音図」を作り、仮名で、漢字音をどのように正確に発音を表記できるかについても研究を行いました。
「五十音図」は、日本語を学び、日本語を研究するためになくてはならないものです。ここ、山代温泉で生まれた 「五十音図」は、まだまだ分からないことでいっぱいです。 皆でその謎を解いていきたいと思います。

地図

地図

加賀市山代温泉万松園通 付近 [ストリートビュー]