「五十音図」は、山代温泉で生まれた
ごじゅうおんずはやましろおんせんでうまれた
北陸新幹線・IRいしかわ鉄道(旧 北陸本線)加賀温泉駅から南に5km、薬王院温泉寺(加賀市山代温泉4区18−40甲)入口近くに、本を開いたようなオブジェを戴いた碑が設置された。
大聖寺藩主世々其祈願所となし給ひ山背郷民挙って、大神を渇仰せり。天文年間、朝倉義景の兵火に罹り悉く鳥有に歸し、一時廃社とありしを明治八年七月再興し相殿に座す。菊理姫命御奉斎の白山神社と合併して、郷社に列し明治17年3月7日懸社に昇格せらる。山代温泉はあいうえおの発祥の地。 pic.twitter.com/Pk4myzJKdT
— 全国一ノ宮神社巡りガイド(ときどき温泉、将棋、日本酒) (@ichigoshujun) October 8, 2021
写真
碑文
五十音図について
日本語を学ぼうとした時、最初に覚えなければならないものに「五十音図」があります。この「五十音図」は、じつは、皆さんが今いる、この山代温泉で作られたものなのです。
それでは、五十音図は、誰によって、いつ頃、何のために作られたものなのでしょうか? 作ったのは明覚というお坊さんです。作られたのは一〇九三年です。
「五十音図」は、人が正確に日本語の発音ができるようになるため、そして正確にお経に書かれた文章を発音して読めるようになるために作られました。
日本語には「母音」として「アイウエオ」があります。そして、喉の付け根(軟口蓋)、歯、舌、唇など口の中で調音する「子音」と母音を合わせて発音すると、「カ行、 サ行、夕行、ナ行、マ行、ラ行、ワ行」の言葉がきれいに出ます。
お経は、当時、人の願いを叶えてくれる魔法の言葉でもありました。魔法は正確な言葉で発音しなければなりません。もちろん、人と話をする時も同じです。「五十音図」は、山代温泉で生まれた日本語の魔方陣 なのです。
ここに複製を行ったのは、現在、大東急記念文庫に所蔵される「反音作法 」に見える明覚の五十音図です。
明覚上人 (一〇五六~一一〇六)一○五六年に生まれた明覚は、天台宗の総本山である比叡山で修行をしたお坊さんです。インドの言葉であるサンスクリット語を学び、漢文はもちろん、中国語や日本語も堪能だった明覚は、三十六歳頃までには山代の加賀温泉寺に来ていたと言われています。『
悉曇大底 」(一〇八四年)、「梵字形音義 」(一○九四年)、「悉曇要訣 」(一一○一年以降)など梵字と呼ばれるサンスクリット語学の研究を行い、「五十音図」を作り、仮名で、漢字音をどのように正確に発音を表記できるかについても研究を行いました。
「五十音図」は、日本語を学び、日本語を研究するためになくてはならないものです。ここ、山代温泉で生まれた 「五十音図」は、まだまだ分からないことでいっぱいです。 皆でその謎を解いていきたいと思います。