近代 弓道 発祥の地

きんだいきゅうどうはっしょうのち

画像求
撮影:
どなたか見てきてください!

東名高速 蒲生スマートI.C.の西、竜王町川守の市街地の北寄りに、川守城址を示す大きめな自然石の石碑がある。その神社の鳥居近くに、控えめな駒札風な説明が取り付けられた。

写真


碑文

近代(きんだい)弓道(きゅうどう)発祥(はっしょう)()

明応(めいおう)年間(一四九二〜一五〇一)日置(へき)弾正(だんじょう)正次(まさつぐ)が当地を訪れ、川守(かわもり)城主(じょうしゅ)吉田(よしだ)出雲守(いずものかみ)重賢(しげかた)に弓の奥義伝授したと伝わる。吉田氏は代々蒲生(がもう)一帯を治めた佐々木六角氏の武将で弓馬(きゅうば)の武功に名高い一族であった。吉田家からは代々弓の名人が輩出し、日置弾正と吉田氏の名を併せた「日置(へき)吉田(よしだ)(りゅう)」は新流と呼ばれ日本各地に広まる。重賢から数えて五代目、近隣の葛巻(かずらまき)から出た吉田(よしだ)源八郎重氏(げんぱちろうしげうじ)は日置流印西派を興し、徳川将軍家の弓術指南役となり後に「日置(へき)當流(とうりゅう)」の名を授かることで流派を大成(たいせい)させた。日置吉田流の伝統は全国の津々浦々(つつうらうら)で継承され、今日の弓道の基礎となっている。近代弓道の発祥の地となったのは、ここ竜王町川守(かわもり)の地なのである。小祠(しょうし)八幡神社は川守城の一角であった場所にあり境内には土塁(どるい)がわずかに残る。

地図

地図

竜王町川守 付近 [ストリートビュー]