扇の的 弓道 発祥之地

おうぎのまときゅうどうはっしょうのち

日光中禅寺湖の北西岸。遊覧船乗り場の西側に“二荒山神社中宮祠”がある。湖岸を走る国道120号から中宮祠境内に入ると すぐ右手に,扇の形をした石碑があり, 「扇の的弓道発祥之地」と刻まれている。

日光二荒山神社は,男体山(=二荒山)を御神体とする神社で,日光の氏神でもある。
本社(本殿・拝殿)は日光市内(山内)に,中宮祠は中禅寺湖畔に,奥宮は男体山の山頂付近にとわかれている。中宮祠は 本社と奥宮の中間にあるために この名称で呼ばれるという。

毎年8月4日に「扇の的弓道大会」が開催される。

中禅寺湖に浮かべた およそ30メートル先の小舟上の的に向かって 一斉に矢を放つ。例年 1500人前後の参加者があり,弓道大会としては他に例がない規模だという。 この行事は,平家物語にも記された源平の戦い(屋島の戦い)で, 那須与一が 小舟の竿の先に付けられた扇の的を射抜いた という故事にちなんだもので, 那須与一が栃木県那須の出身であることから,およそ50年前からここ中宮祠で開催されている。

写真

  • 扇の的弓道発祥之地
  • 二荒山神社中宮祠
  • 牛石
  • 拝殿
  • 扇の的弓道発祥之地(背面)
  • 扇の的弓道発祥之地
  • 石垣が近く木が茂り碑文を読みづらい
  • 神楽殿

碑文

扇の的弓道發祥之地

時は鎌倉時代文治元年二月十八日、屋島の海は折々烈しく風が吹いて磯うつ波も高く、から紅の扇には日の丸を出した平家の小舟は、ゆり上げゆりすえただよって、扇も柱に定まらずひらめいた。

この時那須余一宗隆は、眼を閉じて「日光二荒山大神願わくばあの扇を射させ給え」と心中深く祈念して、眼を見開き鏑矢を取り満月に引いてひょうと放つ、矢は浦にひびかせてて過またず扇の要一寸ばかりおいて、ひふうとばかりに射切った。

この源平屋島の合戦に、扇の的を射止めた那須余一宗隆の勲を後世に伝えんと、昭和三十七年に縁り深きこの地で、栃木県弓道連盟主催による扇の的弓道大会が開催されてより、四十周年の佳節を迎えた。

茲に御神威の発揚を期し、神恩に感謝し、心を練り技を鍛える現代の余一を待望し、大会関係者の業績を顕彰し記念の碑を建立す。

平成十三年八月吉日

日光二荒山神社宮司 吉田健彦
栃木県弓道連盟会長 益田敏夫
歴代大会会長
 樋山菊之
 河合 栄
 石川武雄
 鈴木 信
 高橋 武
 益田敏夫
 佐野武夫
 桑田秀子


ナスノヨイチは那須与一のような気がするが、原文ママ。「餘一」で刊行された書籍もある。

地図

地図

日光市中宮祠 付近