日光発祥の地

にっこうはっしょうのち

日光駅から 北西に2km、“日光美術館”のすぐ西側, 本宮神社と日光幼稚園に挟まれた場所に “四本龍寺”の三重塔と観音堂がある。「日光山草創四本龍寺」の石標のすぐそばに 「四本龍寺紫雲石」と書かれた説明板が建っており, ここに「日光発祥の地」という文言が書かれている。

日光山内は 東照宮・二荒山神社・輪王寺 からなり, 通常“二社一寺”と総称される。 東照宮は 今でこそ日光を代表する神社であるが, 徳川家康を祀るために江戸時代に開かれたもので 他と比べれば比較的新しい。

日光は奈良時代の 766年(天平神護2年)に 高僧・勝道上人によって開かれた。勝道上人は 大谷川の北のこの地に聖地を見付け, 紫の雲たなびく土地であったので「紫雲立寺」 (後に「四本龍寺」と改名)を創建した。これが日光山の開山, すなわち「日光の発祥」である。

さらに勝道は 隣接する土地に男体山(=二荒山)の神を祀る「二荒山神社」を, 中禅寺湖のほとりに「中禅寺」を建てている。その後 四本龍寺は 「満願寺」「光明院」などの名称を経て 現在の「輪王寺」と変わり, 宗旨も 真言宗・天台宗 と変化している。

なお, 四本龍寺は現在 観音堂と三重塔があるとされているが, この場所が四本龍寺の跡地であったために そのように呼ばれているだけで, 正式には これらの建物は輪王寺に属しているようである。

写真

  • 日光山草創四本龍寺
  • 四本龍寺紫雲石

碑文

天平神護二年
日光山草創四本龍寺

四本龍寺しほんりょうじ紫雲石しうんせき

 ここから西南に少し離れた唯心院境内 の礼拝石で, 勝道上人が, ある日, 礼拝 をささげた折, この石の辺りから紫の雲 が立ちのぼり, 男体山の方へたなびくの を見たということから, 紫雲石を呼ばれ る。そしてこの地を四神守護の霊地とし て, 四本龍寺を建てたという。

 現在は, 観音堂, 三重塔のみだが, 日光発祥の地であり, 奈良, 平安時代の 日光の中心地であった。

地図

地図

日光市山内 付近 [ストリートビュー]