隅田党 発祥の地
すだとうはっしょうのち
和歌山線
平成29年(2017)10月、隅田八幡神社の正遷宮を機に、隅田党一族の会によって建立されたもので、御影石製、高さは台座を含め約1.8メートルである。表面には「隅田党発祥の地」と刻まれ、裏面には隅田党の沿革が記されている。
隅田党は、紀伊国伊都郡の隅田荘(現在の橋本市隅田町一帯)を基盤とした中世の武士団である。その成立には隅田八幡宮と隅田荘の支配が深く関わっている。平安時代末期、長忠延が隅田八幡宮の俗別当職と隅田荘の公文職を担い、その地位が子孫に継承された。やがて隅田氏を中心として荘内の一族・有力者が結びつき、隅田八幡宮を氏神とする武士団として隅田党が形成された。
鎌倉時代には隅田氏の惣領家が北条氏に仕え、六波羅探題のもとで活動した。元弘3年(1333)、鎌倉幕府滅亡の際には、六波羅探題北条仲時らとともに京都から鎌倉へ向かったが、近江国番場で追い詰められ、隅田一族11人も含む多数が自害した。この出来事は『太平記』に記されている。惣領家の滅亡後も葛原氏や上田氏などを中心に一族の結合は続き、室町時代には紀伊守護畠山氏の被官として活動した。
写真
碑文
隅田党発祥の地
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