指宿 発祥の地

いぶすきおんせんはっしょうのち

指宿枕崎線 宮ヶ浜駅前に、看板が設置されている。

指宿発祥の地は、現在の鹿児島県指宿市宮ヶ浜周辺とされる。この地は古くから薩摩半島の南端における海上交通および陸上交通の要衝として機能し、指宿の地名が誕生した中心的な地域である。

指宿という地名の由来については、湯が豊富に湧き出る様子を表す「湯豊宿(ゆふすき)」が転じたとする説や、地勢的・気候的な特徴に由来する説が存在する。宮ヶ浜一帯は古代から中世にかけての指宿地区の中心地であり、湊(港)を起点とした交易や人々の往来によって集落が発展した。

宮ヶ浜周辺は、指宿という地域社会の政治・経済・交通の基盤が最初に形成された歴史的拠点である。指宿という地名自体は奈良時代の和銅6年(713) 以前から存在していたが、その領域内で都市機能や行政の中心地として発展を始めたのがこの宮ヶ浜一帯であった。

宮ヶ浜が指宿発祥の地とされる最大の要因は、錦江湾に面した天然の良港を擁し、海上輸送と陸上交通が交差する要衝であった点にある。古代から中世にかけて、この港を起点に人々の往来や物資の交易が行われ、指宿地区で最初の大規模な集落および港町が形成された。

平安時代末期から鎌倉時代にかけては、薩摩平氏の一族である頴娃えい忠光がこの地を継承し、地名にちなんで指宿氏を名乗った。指宿氏は宮ヶ浜周辺を拠点として指宿郡司や枚聞神社新宮の宮司職を務め、地域一帯を統治する政治の中心地とした。これにより、指宿という名称と領域支配の単位が確固たるものとなった。

江戸時代に入ると薩摩藩の外城制のもとで指宿郷が設置され、宮ヶ浜は年貢米や特産品を仕出す重要港および宿場として機能し続けた。明治時代以降も汽船の寄港地や商業拠点として地域の発展を牽引し、昭和29年(1954) の市制施行に至る近代指宿市の形成における直接の起点となった。

写真


碑文

みやがはま
宮ヶ浜
MIYAGAHAMA

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地図

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指宿市西方 付近 [ストリートビュー]