夕陽岡(夕陽丘)命名の地
ゆうひがおか めいめいのち
地下鉄 谷町線 四天王寺前夕陽ヶ丘駅 の西側、清地蔵(大阪市天王寺区夕陽丘町5-5)前に石柱と石版と看板がある。看板には伊達市の墓所という案内が記されている。
この地名は、鎌倉時代の公卿であり歌人としても知られる藤原家隆が、晩年にこの地(天王寺の西坂付近)に隠栖し、沈む夕日を望む庵「
家隆は、かつてこの地から難波江に沈む夕陽を眺め、『新古今和歌集』などに収められる「契りおきし させもがが原の さしも草 さしも短き 命なりけり」をはじめとする多くの秀歌を残した。特に、当地で詠まれたとされる「契りおきし…」や夕陽の情景に寄せる歌群により、この一帯は「夕陽岡(夕陽丘)」と呼ばれるようになった。
碑の周辺は、古来より上町台地の西端に位置し、大阪湾を見下ろす景勝地として知られた。西側に海が広がり、夕陽が水平線や水平線上の山々に沈む美しい光景が見られたため、仏教における浄土信仰の一種である
現在、夕陽岡命名の地碑は、藤原家隆の墓所と伝えられる地(家隆塚)の近くに佇んでいる。
写真
碑文
夕陽岡(夕陽丘)命名の地
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