砺波郡発祥の地
となみぐんはっしょうのち
IRいしかわ鉄道
古代の律令制下における越中国
奈良時代の天平19年(747) 、利波氏の代表的人物である利波志留志が、東大寺盧舎那仏の造営に際して米3,000碩(180t)を寄進した記録が残る。また神護景雲元年(767) には墾田100町(1㎢=100ha)を東大寺に寄進した。志留志の所有地として「
利波氏および古代砺波郡の足跡を示す具体物として、南砺市
古代において、畿内や加賀(石川県)側から北陸道を通って越中国へ入る際、最初に越えなければならない最大の要衝がこの山であった。山を指す地名として「トナミ山(利波山)」と称され、その山を越えた東側に広がる広大な平野部や行政区画(郡)全体に対して、山の名に由来する「利波(砺波)」の名が冠されるようになった。
また、この地域一帯を本拠地とした古代豪族・利波氏(利波臣)も、この加越国境の要地である砺波山付近を拠点の一つとして勢力を伸ばし、やがて平野部全体の開発を進めていった。
行政区画としての「礪波郡」は、明治11年(1878) の郡区町村編制法施行により石川県のもとで発足し、郡役所は今石動町(現在の小矢部市)に置かれた。その後、明治29年(1896) に東礪波郡と西礪波郡へ分割された。
古代初期は音に当てた借字「利波」が使われていたが、和銅6年(713) の好字二字化令により好字の「礪波」に改められた。長らく旧字体の「礪波」が用いられたが、戦後の当用漢字・新字体の定着や昭和27年(1952) の市制施行を経て、現在の「砺波」表記へと至った。
砺波郡発祥の地、砺波山。
— なかてち🌈🟢 (@nakatechi) August 11, 2026
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写真
碑文
海抜265m
砺波郡発祥の地と言う
砺波山
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