「茨城」の地名 発祥の地

いばらきのちめいはっしょうのち

常磐線 石岡駅の南、県道118号 高浜街道沿いの、山内文化堂と看板が出ている建物の脇に、教育委員会が設置した看板がある。

茨城という地名は、原住民の住処を茨の木で作った城(=柵)で塞いだ上で駆逐したことが常陸国風土記に記載されていることに由来しているとのこと。

常陸国風土記に登場する「土ぐも(土蜘蛛)」とは、生物としてのツチグモではなく、大和朝廷に従わない原住者たちの蔑称。「佐伯」とは朝廷の命令を遮る者で、やはり朝廷への反逆的な態度をとる辺境の野蛮人たちの蔑称。

それらを退治した黒坂命は何度が登場するようだが、どこの誰なのかは詳しく語られていない。

以前には昭和60年(1985) の日付で石岡市教育委員会と石岡市文化財保護審議会の連名による表示があったが、風化したため取り替えられたようだ。内容は同一だが文化財保護審議会の名称は書かれなかった。

目印となっていたスーパーやまうち石岡店は2018年(平成30年)4月に閉店し、後にカワチとなった。

写真

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碑文

茨城いばらき」の地名ちめい発祥はっしょうの地

茨城県の「茨城」という地名の発祥の地は、石岡市茨城付近といわれる。その由来ゆらいについて、『常陸国ひたちのくに風土記ふどき』の茨城うばらきこおりくだりには、次のように記されている。
昔、このあたりには山の佐伯さえき、野の佐伯という凶暴きょうぼうな土ぐもが、山の斜面やがけなどにあなを掘って住んでいた。里人さとびとのすきをうかがっては、多くの仲間をひきいて、食物や着物をうばったりすることから、付近の里人は大変こまっていた。
そこで、黒坂命くろさかのみことという人が、土ぐもの退治たいじにのりだし、土ぐもらが穴から出ているときを見はからって、野茨のいばらで穴の入口をふさいで(柵)をつくってしまった。そして、山野に出ていた土ぐもを攻撃こうげきしたところ、土ぐもたちは、いつものように穴にもぐり込もうとして、茨につきあたったり、引っかかったりして傷を負い、山の佐伯、野の佐伯も退治されてしまった。
茨で城(柵)をつくって土ぐもを退治したことから、このあたりを茨城と呼ぶようになったというのである。

茨城郡。東香島郡。南佐禮流海。西筑波山。北那珂郡。
古老曰。昔在國巢。俗語曰。都知久母。又曰。夜都賀波岐。山之佐伯。野之佐伯。普置掘土窟。常居穴。有人來。則入窟。而竄之。其人去。更出郊以遊之。狼性梟情。鼠窺掠盗。無被招慰。彌阻風俗也。此時大臣族黑坂命。伺候出遊之時。以茨蕀塞施穴内。卽縱騎兵。急令逐迫。佐伯等如常欲走而歸土窟。盡繋茨蕀。衝害刺傷。終疾死散。故取茨蕀。以著縣名。

『常陸国風土記』より

平成二十二年三月 石岡市教育委員会

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石岡市茨城一丁目 付近 [ストリートビュー]