桶狭間 発祥の地

おけはざまはっしょうのち

 
撮影:
2026年6月(写真 まさ・なち さん)

名鉄 名古屋本線 有松駅から南に2.1km、東海道本線 共和駅から北東に3km、桶狭間の戦いにおいて敗死した今川義元の供養寺として知られる、和光山 天沢院 長福寺(名古屋市緑区桶狭間427)がある。門をくぐり弁天池を回り込むと、説明板が設置されている。

寺から南に位置する丘陵地一帯は、14世紀中ごろに南朝の落武者が住み着いて形成された桶狭間村の発祥の地である。寺の境内に隣接する弁天池の傍らには、古くから一度も水が枯れたことがないとされる湧水(泉)が存在する。この清水の強い勢いにより、水を汲むために浮べた桶がくるくると回る様子から「桶廻間(おけはざま)」の地名が生まれ、後に「桶狭間」の漢字が当てられるようになったと語り継がれている。 また、この泉は永禄3年(1560) の桶狭間の戦いにおいて、織田信長勢に討ち取られた今川義元の首級を洗い清めた「今川義元首洗の泉」としても伝わる。長福寺の境内には、義元の首実検が行われたとされる供養杉の跡や、出家して義元らの菩提を弔った茶坊主・林阿弥が寄進した尊像などが残されている。

写真

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碑文

桶狭間発祥の地

この泉界隈は、十四世紀中頃、南朝《なんちょう》の落人が隠れ住んだとされ、桶狭間発祥の地と呼ばれている。
泉に浮かぶ桶が廻《まわ》る様子から、「おけはざま」(桶狭間)の地名が生れたとする説があるが、長福寺の泉はその伝承を持つ泉の一つである。往昔の僧侶や村人が生活に用いた清水で、今も枯れることなく湧き出ている。井戸の傍らには、仏法を守護する龍神が奉られる。

長福寺

地図

地図

緑区桶狭間 付近