蕉風 発祥の地

しょうふうはっしょうのち

名古屋市営地下鉄 栄駅のすぐ近くにあるテレビ塔の北東の足から20mぐらい離れたところに、リクライニングチェアを連想させる不思議な形の石碑本体と、その横の地上には副碑と教育委員会による説明パネルが建っている。

「蕉風」とは、松尾芭蕉とその門人によって確立された俳句の作風。俳諧は連歌から生まれ、当初は“洒落”や“滑稽”を主とする言葉遊びであったが、松尾芭蕉は“さび”を重んじ閑寂で気品高い芸術を目ざした。

芭蕉は伊賀上野に生まれ、1684(貞享元)年に伊賀上野から江戸に下る途中名古屋に立ち寄り、名古屋の青年俳人らと連句の会を催して句集「冬の日」(芭蕉七部集の一)を刊行した。その場所がここ「宮町筋久屋町西入ル南側」である。弟子の河合曾良を伴って「奥の細道」の旅に出たのは、この5年後の1689年のことである。

発祥碑は俳諧師が持つ「控え帳」をデザインしたもので、「こがらしの身は竹斎に似たる哉」を筆頭にした「冬の日」巻頭の表六句が刻まれている。

写真

  • 蕉風発祥の地 教育委員会説明板
  • 蕉風発祥の地 建碑委員会 碑文
  • 862蕉風発祥の地1.蕉風発祥の地 側面
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碑文

蕉風発祥之地

 笠は長途の雨にほころび紙衣はとまりとまりの
 あらしにもめたり侘つくしたるわび人我さへ
 あわれにおぼえけるむかし狂歌の才士此國に
 たどりし事を不圖おもひ出で申侍る

狂句 木枯らしの身は竹斎に似たる哉

芭蕉

たそやとばしる笠の山茶花

野水

有明の主水に酒屋つくらせて

荷兮

かしらの露をふるふあかむま

重五

朝鮮のほそりすゝきのにほひなき

杜國

日のちりぢりに野に米を刈る

正平

蕉風発祥之地

芭蕉は野ざらし紀行の途上 貞享元年(1684) の冬 名古屋に立ち寄り 土地の青年俳人を連衆として 「冬の日」の巻々を興行した。
 この巻々こそ遊びの俳諧より脱皮した芭蕉が始めて芸術としての俳諧を樹立した記念塔なのである その場所を「宮町通久屋町西へ入ル南側傘屋久兵衛借宅」と「家並増減帳」は指摘している 現状に当てはめて見ると このあたり(テレビ塔東北の脚の前面)と推定される
 今ここに文学碑「蕉風発祥之地」を建立し 碑面に巻頭歌仙木枯の巻の表六句を刻する所以は俳文学史上無二の俳蹟を顕彰すると共に 郷土先人の業績を永遠に伝えんが為に外ならない

(市橋 鐸 謹誌)

昭和四十五年十二月

蕉風発祥之地建碑委員会

蕉風発祥の地

 この地は貞享じょうきょう元年(1684)の冬, 芭蕉が「野ざらし紀行」の旅の途中名古屋に立ち寄り, 岡田野水やすい・山本荷兮かけい・坪井杜国とこく・加藤重五じゅうごら土地の青年俳人らと,七部集の第一集「冬の日」の歌仙を興行したところである。
 この「冬の日」こそ芭蕉がことばの遊戯でしかなかった俳かいを,初めて芸術の領域まで向上させたといわれた句集で, この歌仙を興行した場所を「蕉風発祥の地」とよんでいる。
 その場所は「宮町筋久屋町西入 南側」, 現在のテレビ塔東北の脚のあたりと推定されている。

名古屋市教育委員会

Birthplace of Basho Poetic Style

In the winter of 1684, the famed haiku poet Basho (1644-94), produced and made public his anthology entitled "A Winter's Day", which became the first formulation of his personal poetic style.

地図

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